水子供養の真言宗成田山国分寺インスタグラム

自分の水子供養

自分でできる水子供養

幸せをつかむ自宅供養

水子供養の悲しみ、あなたの悲しみ

 誰でも心のなかに何らかの過去の傷を持っています。
ふだん明るく屈託なく生きているように見える方でも、心の内側で、他人には言えない深い悩みや傷で苦しんでいることが多いものです。
成田山仙台分院では今までに無数といってもよいほどに多くの方の相談ごとや悩みごとに接してまいりました。
そして、誰しもが何らかの悩みや心の傷で苦しんでいるという現実を、目の当たりにして参りました。
その中で、過去に作ってしまった水子のことで深く心を痛めている女性たちがとくに多いのです。
「水子…かわいそうなことをしてしまった…」と思う一方で、自分がいまなお幸せになれないのは、水子がたたっているからではないか…水子のせいではないか…などとおびえているケースも少なくありません。
水子があるということを、近しい友達やまわりの方たちには秘密にしている。水子供養のことは両親や兄弟姉妹にも相談していない。供養のことは主人にも言っていない。子供は供養したあとに生まれた。
位牌のかわりになるお地蔵さまを立てて、僧侶に供養のお経もあげてもらったし、供養は匿名ですませた…本当に供養のことは誰も知らないだろうと思っているのかもしれません。
しかし他の人は供養のことを知らないとしても「水子を作ってしまった。」そのこと、その事実をあなた自身がもっとも明白に知っているわけなのです。どのような方でも自分自身をごまかすことは到底できません。自分自身には決して嘘はつけないものです。そして、その秘密を1人で悩み、孤独の中で苦しみを背負っていく、そのことに問題があるのです。
「水子を作ってしまった。」そのことがあなたの供養の不運と不幸を招くのです。
供養をしないからという理由で、本来の水子はたたるような事は決してありません。
しかし、「供養をしたのにもかかわらず体の調子がどうもおかしい。」という方も中にはいるのです。
どうしてそのようになるのでしょうか?どうして水子供養なのでしょうか?
また、供養をきっかけにして次々と不運や不幸に見舞われて苦しみ悩んでいる方々もたくさんおります。
家庭不和、挫折、事故、病気、失業を繰り返し、いやというほど苦しみ悩んできた人たち、ついには生命の危機にまで直面した人たちなどをたくさん見てまいりました。どうしてそのようになるのでしょうか?
 それは、水子供養のことから目をそむけたい気持ちがそうさせるのです。「水子を作ってしまった。」という消すことのできない罪悪感が心に残り、それが苦しみと悩みをもたらすのです。
 それならば、どのようにすれば耐え難い苦しみと悩みから救われるのでしょうか。
自分の罪を真摯にうけとめ供養しつぐなうことこそが苦しみ悩みから解き放たれる最善の方法なのです。
罪のつぐないとは、一人で冥途への道をたどった淋しい水子へ、供養して親としての深い愛情を注ぐことです。そしてその冥福を切に願い祈ることなのです。それが本来の供養なのです。
冥途への道を一人でたどった孤独で淋しい水子の親を慕う気持ちを思いやるとき、「本当にかわいそうなことをしてしまった。ごめんなさいね。」と親として出来る限りの愛情をさしむけて供養し成仏と冥福を祈りそして弔うことこそ幸運と幸福をまねく、あなたにとって、かけがいのない救いの道なのです。

水子供養の霊障問題

 霊障がよく取りあげられますが、水子供養の霊障問題について述べていきます。

 成田山仙台分院で今までに関わらせていただいたたくさんの人たちの体験、経験から色々な災難、不運の原因の一つに「水子供養」がキーワードになっていることがよく分かります。
そして供養が原因で霊障問題が有るという事が事実としてあるのです。
 水子供養は、あなたの運気が停滞しているから気をつけるようにというサインを水子が送っているのにもかかわらずに水子を供養することにも気が付かなかったり、あるいは水子のことをを供養せずに無視して放っておいたりすると、たいへんに恐ろしい結果を招く場合が往々にしてあります。
そして、水子があなたに供養のことを気付かせたいために、あなたの水子供養の霊障問題が大きくなっていったり広がっていったりということもよくあることなのです。
 水子が、あなたに供養のことを気付いて欲しくてサインを送っているにもかかわらず、それに気がつかず、あるいは無視して放っておいたりすると、供養が原因で水子の恨みをかう場合もあります。
そのような場合には、水子供養の霊障問題は母親だけではなく、父親にも同じように霊障問題は降りかかるのです。
霊障問題で苦しんでいるのは、圧倒的に女性のほうが多いような印象をうけるかもしれません。
しかし供養は、男性が単に水子の霊障問題の原因に思いいたらないだけのことだというごく単純なことなのです。
しかし、水子供養とは本当にそのようなものなのでしょうか。
実は、「水子供養」というキーワードを紐解いていくと、その中で一番恐ろしいのは、水子供養の霊障問題で単に父親と母親の運気が乱れるだけでなく、わざわいが後に産まれた子供にまで及んでしまうこともある、ということなのです。
 実際に今現在あなた自身が家庭で子供を育てています。
それに引きかえ誰にも話してはいないけれども水子があります。自分の水子は十分に供養されず見すてられて淋しくひとりだけであの世をさまよっているのではないだろうか…。
同じ子供でありながら親にかわいがられて大切に育てられている兄弟姉妹を見れば、十分に供養されない水子が、やきもちをやいてしまうのは当然ではないか…という気持ちがわいてくるのが自然なのではないでしょうか。
そしてまた、そのような供養の思いが、自分の水子のあとに産まれた子供を苦しめることにもつながってゆくのです。
本来の水子供養はたたることは決してありません。しかし、時と場合によっては水子の霊が人の生命を奪えるほどの強いパワーを持っているかのようにも見うけられます。
 もし供養が十分になされない霊の強いパワーが、あとに産まれた子供に降りかかった場合、色々な災難が起きることでしょう。
たとえば、このような何も障害物がない所ではまさか転ばないだろうと思うような場所で子供が転んで怪我をしてしまったり、聞き分けが無く親が何度もしてはいけないと教えて言うことを子供が何度も何度も繰りかえしてみたり、子供が落ちつきがなく一つのことを集中して長い時間おこなうことが出来なかったり、ぼんやりとして無気力な子供も多いのです。
それは子供の登校拒否や家庭内暴力にも発展することもあります。十分な供養を怠ると子供が何度も事故にあったりあるいは大病をわずらったり、ついには生命を落とすことにもなりかねないのです。
 水子がある場合は供養の霊障問題を人ごととは思わないでください。水子に親としての深い愛を手向けて弔い供養することが霊障問題の解決になるのです。

水子供養参り

 本来ならば、水子はさわらないものなのです。 しかし、時に「水子供養」というキーワードを紐解いていくと、父親と母親から一人だけで引き離されて親の深い愛情からの供養を享受できずに冥途で迷い悲しんでいるのが水子なのです。  どうしたらよいのか分からずに孤独の中で、おびえ、とまどっているのも水子です。 十分に供養を受けられないその姿は、右も左も分からない暗闇の中に置き去りにされた子どもが、泣き叫ぶ姿と同じなのです。 水子は供養をしてもらわなければ成仏できずに冥途で大変苦しむのです。 供養をしてもらわず、一人暗闇の中に放り出されたままにされたら、水子はいったい、どうしたらよいのでしょうか。途方に暮れて迷い続けていくのです。 水子はとてもかわいそうな存在です。 姿ある我が子にあてはめてみてください。祭りなどで両親からはぐれた迷子が泣き叫びながら両親を探がしている光景を目にしますが、十分に供養されない水子も同じなのです。  霊障問題と供養というかたちをとって迷える水子が「助けて欲しい!供養してほしい!」と親に訴えてくるのは自然な事ではないでしょうか。 水子をこのような目にあわせて、一見平気でいるように見えるけれども、深層心理の中では後悔の念と深い悲しみを持っているはずです。 そのことを水子が敏感に察していても不思議なことではないのです。  たとえこの世に生まれいずることのなかった水子であっても、ひとりの人間、可愛い子であったことに、なにもかわりはありません。

成仏させる水子供養

水子供養を成仏させるには2つ必要

  1. 水子供養のお経を上げて供養してもらうこと(寺院や僧侶が行う部分)
  2. あなた自身が自分で水子供養をし成仏するように供養すること(自分で実践する)
 この2つがそろってこそ、正しい供養といえるのです。 本当は、この両方とも水子供養には必要なのです。 けれども、一般の人は僧侶に、寺院に水子供養のお経をあげてもらい終了だと思っています。 しかし、水子供養はそうではないのです。 そして、本当に水子が望んでいることを行うべきなのです。 四十九日間(四十九日間)(1ヶ月20日間)または百か日(3ヶ月10日間)の集中した、欠かさない供養が必要なのです。  水子を成仏させるには、自分で水子供養しなければならないのです。 自分で供養に参加し、実践する総合的な水子供養が必要なのです。 そして同時にあなた自身が水子を作ってしまったという罪を認識して供養すること。 それができてこそ、はじめて水子供養という本当の意味が明らかになってくのです。 水子供養は、代わってあげたくても代わることはできません。あなた自身が供養を行なわないで誰がするのでしょう。  あなたが今まで後悔してきたしまった罪を詫び、水子がその思いをうけとめ水子供養の願いがかなえられれば、たとえ霊障問題がおこっていても、自然に消えていきます。 水子は成仏できるのです。 水子供養、それはあなたが今できる最良の道なのです。 水子供養は誰にでもできます。 水子を成仏させることは決してむずかしいことではありません。
水子を成仏させるには両方のことが大切
  1. 水子供養では、お坊さんに読経してもらうことが大切(成田山や寺院やお坊さんが行う専門的な部分)
  2. あなた自身が自分で水子供養を行ない、成仏するようにすることが大切(自分で供養を行なう部分)
 この両方がそろってこそ、正しい水子供養といえるのです。 本当は、この両方が必要ですが、けれども、一般の人は寺院でお坊さんに心を込めて読経をあげてもらい、それで終了だと思っています。  しかし、本当はそうではありません。 成仏させるには、自分でも水子を供養することが大切です。 自分で水子供養に加わわり、自分で水子供養を行い、総合的な供養をすることが大切なのです。 そして同時にあなた自身が水子を作ってしまったという罪をあなたが供養すること。つまり自分の罪を懺悔して、その罪を悔い改め、許されなければならないのです。それができて、はじめて水子供養という真の理解を得られ、明らかな意味となり自分に帰ってくるのです。 それは、あなたから代わって行なってあげたくても代わってくれることはできませんし、もちろん代われることでもありません。 あなた自身が行なわないで誰がするのでしょう。  あなたが今まで後悔してきたしまったこと、辛かったこと、本当はこころの中で思っていたことを自分で素直に思い受け入れること。その上で罪を詫び、水子がその思いをうけとめ水子の願いがかなえられれば、たとえ霊障問題がおこっていても、消えていきます。すべてはあなたの心の捉え方一つなのです。でも、それが、様々な要因となり、心の目を曇らせ見えなくさせたり、悪い方向へと引き込まれてしまう原因となっているのです。
成仏できる水子供養
 それはあなたが今できる最良の道である水子供養です。 誰にでもできる水子供養はそういうことなのです。 成仏させることができる水子供養は決してむずかしいことではないのです。すべては、あなたのため、水子のため、あなたに関わるすべての方の幸せのためなのです。
水子供養をすることが、あなたを幸せにする
 心をこめて供養すれば、その子の心をなだめ、正しく進むべき道を歩ませてあげることができるのです。 水子はあなた自身の供養を待っています。 水子が望んでいるのは、親であるあなたの愛情、供養なのです。 自分で供養に参加し実践する総合的な供養をする必要があるのです。  水子がある人、自分の水子ではなくてもそれに原因がある人、現状の一方的な供養に満足しない人、そしてなによりも供養したいという気持ちがあるやさしいあなたへ。 御一緒になって御供養しましょう、私達とあなたが、水子供養するためのお手伝いをいたします。

四十九日間の水子供養

四十九日間でできる水子供養の仏具

水子供養の「念珠ねんじゅ
真言や水子供養のお経を唱えたり礼拝するときの道具です。 水子供養のねんじゅはただ手にあわせるだけのものではありません。真言を唱える際に回数を数えるためのものです。 念珠は水子供養を伝えるための「おもいの珠」のことです。 「百八念珠」とそれの半分くらいの大きさの「半念珠」がありますが、自分でできる水子・幸せをつかむ自宅水子供養では「半念珠」を準備します。
水子供養の「香炉こうろ
水子供養の香炉は、香を焚く(線香を焚く)ときに使うものです。 焼香は悩みを乗り越えて「精進」する事を意味しています。 また、塗香といって香りを身体にあてて浄める方法もあります。 自分でできる水子供養・幸せをつかむ自宅水子供養では、香を焚き、心身を浄め、室内も水子供養できる準備として浄めます。 ※ほかに線香、香炉灰が必要です。
水子供養の「灯明立て(ローソク立て)」
水子供養の灯明は一対になっています。これは教えの中で「自灯明」「法灯明」といわれており「法を灯とせよ、自らを灯とせよ」の灯の光を表現し、その灯は「智慧」を示すといわれています。 自分でできる水子供養・幸せをつかむ自宅水子供養では、灯りをともすことによって、自分で水子供養に参加し、水子供養を実践し、あなた自身が水子供養を作ってしまったという罪を明らかにする意味もあります。 ※ほかにローソクが必要です。
水子供養の「茶湯器(お水いれ)」
水子供養の水はすべての生き物の生命のつかさどるものといわれています。 水の偉大さ、尊厳さを称し「布施」として人に施しを行います。 自分でできる水子供養・幸せをつかむ自宅水子供養をはじめる前に、お水は必ず、新しいものを茶湯器に入れます。
水子供養の「りん
鈴を鳴らすことで水子を呼び供養します。 そして、自分でできる水子供養・幸せをつかむ自宅水子供養では、お経を上げるまえに鈴を鳴らすことは水子供養を始めますという合図にもなります。 鈴棒の頭を下にして軽くたたくのが正式な鈴のならし方とされています。 ※ほかに鈴棒、鈴布団が必要です。
水子供養の「高坏(お供え台)」
水子供養のさいに水子に食べさせてあげたいものや菓子、果物を乗せて水子にお供えするものです。 自分でできる水子供養・幸せをつかむ自宅水子供養では、お土産などもらったら、自分が食べるまえに、お供えてから食するようにとお願いしています。
水子供養「仏行作法(経本)」
水子供養の経本はお経を書いた書籍のことです。経折りといわれる折本の形式になっています。 経本のお経は、仏の教えを記した仏教の基本をなすもので、仏の教えの真髄を示し、仏の 教える修行の仕方を導くものです。 自分でできる水子供養・幸せをつかむ自宅水子供養では、「水子供養仏行作法」に乗っ取って、水子のための水子供養のお経をだれでもわかりやすくできるようにかいてあります。

四十九日間でできる水子供養の内容

水子供養の「念珠」「香炉」「灯明立て(ローソク立て)」「茶湯器(お水いれ)」「鈴」「高坏(お供え台)」の準備の仕方、「はじめる前にすること」、自分でできる水子供養・幸せをつかむ自宅水子供養では、だいたい5分から10分程度で終了できるように、執りまとめてあります。
水子供養の「位牌いはい
本来なら水子の供養には用いません。 もなにもないものに向かって拝めばよいのですが、一般的に言いますと、修行をしているならともかく、なにもないものに対して集中しておこなうことができるでしょうか。 それは、水子供養してあげたいとう気持ちはありますけど、うまくいかないことが多いのです。実際に水子へ向けて試してみてください。 なにか、ものを置けば別ですが、真っ白な壁や、なにもない空間に向かって水子供養の思い、水子への思いをつたえるのは存外難しいことなのです。 そしてまた、何も見えない、何も残っていないからこそ、水子の位牌をたてたいと思うのが人情でしょう。 そのため、自分でできる水子供養・幸せをつかむ自宅水子供養では、あなた自身の水子供養の為に、「仮」の白木位牌にご御芯入れ(寺院や僧侶が行う部分)したものを、四十九日間(四十九日間)自分で水子供養に参加し、実践します。

四十九日間水子供養の特徴

1.はじめから全部そろえるのは大変なものですが、必要なものを全部揃えて、御芯入れした位牌、仏具で、正しい水子供養に望んでください。  2.自宅で自分で水子供養指導にもとづいて実践します。  自分で供養を実践し、総合的な供養をする必要があります。そのために、自宅で少しの時間を割いていただき自分でも行います。  3.成田山が行う水子供養と、あなた自身が自分で行うの2つの供養が揃う必要があります。  4.ほったらかしで、ほこりのかぶった仏壇や、位牌、粗末に扱われている仏具、水子供養に関するものは周囲にありませんか。本来なら、きちんと供養する人がいれば粗末にならないはずです。そしてあなたは四十九日間の水子供養が終了して、5年、10年、もしあなたが死んだ後もきちんと浄めて供養していくことができると思いますか。成田山では、たくさんのそうした粗末に扱われてきたものをたくさん拝見して憂いてきました。粗末にするまえに御芯抜きして納めてください。自分でできる水子供養・幸せをつかむ自宅供養は、供養が終了したら納めて完了するのが基本なのです。

四十九日間水子供養が終わったら

水子供養の御芯抜き
四十九日間(四十九日間)でできる自分でできる水子供養・幸せをつかむ自宅水子供養が終了したら自分で終わった仏具を浄め供養に対する感謝をしたためます。 その後使用した仏具、位牌など諸々のものを執りまとめ、御芯抜きしてもらいます。 それと同時に、供養の終了であることを、水子へ報告し自分でできる水子供養・幸せをつかむ自宅供養完了とします。
水子供養担当よりメッセージ
四十九日間(四十九日間)でできる自分でできる水子供養・幸せをつかむ自宅水子供養についているもの 1.水子供養の名前入り白木位牌※ あなた自身のお名前をいただいて、水子供養の白木位牌をおつくりします。水子供養の白木位牌は「仮」のものです。 ですが、本来なら四十九日間(四十九日間)のつとめをもらえるはずなのに、もらえなかったという意味でも、まず、水子供養の白木位牌をたてて水子供養を始めます。  2.水子供養の念珠  3.水子供養の仏具セット(水子供養の線香1箱、水子供養の香呂、水子供養の香呂灰1袋、水子供養のローソク1箱、水子供養のローソク立て、水子供養のお水いれ、水子供養のリンセット一式、水子供養のお供物台、水子供養のその他消耗品の一切)  4.水子供養仏行作法 ※ 自分でできる水子供養・幸せをつかむ自宅水子供養の専用「仏行作法」にもとづき、 ※ 水子供養を四十九日間毎日行っていきます。  5.水子供養終了後の感謝の報恩 ※感謝し水子供養した内容や思いをしたためます
水子供養をすることが、あなたを幸せにする
心をこめて水子供養すれば、その子の心をなだめ、正しく進むべき道へ送ってあげることができるのです。 水子はあなた自身の供養を待っています。 水子が望んでいるのは、親であるあなたの愛情と供養なのです。 自分で参加し、自分で実践し、総合的な水子供養をする必要があるのです。 水子がある人、自分の水子ではなくてもそれに原因がある人、現状の一方的な供養に満足しない人、そしてなによりも水子供養したいという気持ちがある人へ。 一緒に供養しましょう、あなたが水子を成仏させるお手伝いをいたします。 もしも今、あなたの身にすでに水子の霊障問題が起きているのであれば、逃げずに正面から向かう勇気を持って下さい。 そして供養を怠ってきた場合水子の霊障問題がおこる可能性があるということも認めて下さい。 水子の魂の訴えに耳を傾けて水子供養をかなえてあげることが何よりも大切であり、あなたが幸せになる一番の近道なのです。

百か日間の水子供養

 四十九日間(四十九日間)でできる・自分でできる・幸せをつかむ水子供養が終了しました。ここから先は、それ以降100ヶ日まで水子供養したい方の残り51日間についてです。
水子供養をすることが、あなたを幸せにする
心をこめて水子供養すれば、水子の心をなだめ、正しく進むべき道へ送ってあげることが できるのです。水子はあなた自身の水子供養を待っています。  水子が望んでいるのは、親であるあなたの愛情なのです。  自分で参加し、実践し、総合的な水子供養をする必要があるのです。  四十九日間(四十九日間)でできる・自分でできる・幸せをつかむ水子供養が終了  水子も含め亡き方には、それぞれなくなってから、経過した時間に応じて、守ってくださる十三仏がおります。いままで、四十九日間してきた水子供養も同様です。  水子を7ヶ日ごとに救ってくださる、縁のある、仏さんが違います。  水子の初七日から三十三回忌まで説明していきます。

初七日 不動明王ふどうみょうおう
諸悪を退治し苦難から救ってくださいます。 そのために容姿は「不動明王」の特性ともいえる、こころの裏がみえない、怒り、憎しみ、といった憤怒のお姿をあらわにし、肉体界における血液や力(エネルギー)がみなぎる炎を背負っています。成田山の本尊でもあります。
二七日 釈迦如来しゃかにょらい
歴史上に存在した「お釈迦さま(ブッタ)」すなわち釈迦牟尼世尊(釈尊)(ゴータマ・シッタルダ)の説法を受け入れます。 一般的には、「釈迦三尊」というように「釈迦如来」を中央として、左右に「文殊菩薩」と「普賢菩薩」が配置されています。 そのため、七日後の順番となるのが、三七日「文殊菩薩」となり、その次の順が、四七日 「普賢菩薩」となるのです。
三七日 文珠菩薩もんじゅぼさつ
「文殊の知恵」といわれるように、釈迦の弟子、知恵第1である舎利仏しゃりほつ変化身へんげしんだともいわれます。 「また3人寄れば文殊の智恵」はこの文殊菩薩からできた言葉です。 知恵行、即ち般若波羅蜜多の行を行うことで、覚りの境地を得ることが出来るのだといわれ、『般若心経』では観自在菩薩の説法の場面から説いています。
四七日 普賢菩薩ふげんぼさつ
功徳としての普賢の行願があります。迷える者がこの行を願うことで「普賢菩薩」は強い慈悲の力をあまねいて救ってくれます。
五七日 地蔵菩薩じぞうぼさつ
お地蔵さまは、六道、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の輪廻を説き伏せ、いまだ六道をさまよう亡者を第七世界の真の仏界に導こうとしています。 それは、中陰においてはいまだ本来の世界にたどり着くことの出来ないことを示しているため、その世界に導いてくださいます。釈迦が五十六億七千万年を経た未来に「彌勒菩薩」に姿を変え説法を行うまでの間は「地蔵菩薩」がすべての人を代わって救ってくれるのです。 成田山の境内にもお地蔵さまがいらっしゃいます。
六七日 弥勒菩薩みろくぼさつ
衆生を救済すべき功徳を授かることとなりますが、中陰を離脱するまでの仏にとっては人間界の苦しみが未だ癒されていない状態なのです。
七七日 薬師如来やくしにょらい
人が生きる上で逃れることの出来なかった四つの苦しみのうち、心身「病」を薬で癒し、苦悩から解き放ってくださいます。中陰を離れ真の仏界に導かれた仏は脇仏から本仏のへの順で功徳を授かっていきます。成田山の脇仏として本堂内にいらっしゃいます。
百ヶ日 観音菩薩かんのんぼさつ
慈悲の心により、救いを求めている人がいたら、すぐにそこへ行って救済をすると言われております。どの時代のどのような状況の中にいる人にも、水子にも救いの手を差し伸べてくれるといわれています。
その後、一周忌 勢至菩薩、三回忌 阿弥陀如来、七回忌 阿如来、十三回忌 大日如来、三十三回忌 虚空菩薩となっていきます。 これらの仏様とは縁がないのかということではなくて、それ以降は、私たちを見守り、苦難や苦悩から救ってくれるものと考えられています。 それと同時に、既に水子は永代供養の仏身であると考えいきます。 そして、人生の困難な問題に直面したときに、最終的にはあなた自身に、水子はいつでも 手助けしてくれる対象として、新しく戻ってくるのです。

百か日間の水子供養を行う

四十九日間(四十九日間)と同じように仏具を準備します。  ・念珠(ねんじゅ)  ・香炉(こうろ)  ・灯明立て(ローソク立て)  ・茶湯器(お水いれ)  ・鈴(りん)  ・高坏(お供え台)  ・仏行作法(経本)   四十九日間(四十九日間)の場合ですと、仮の白木「位牌いはい」も準備されたと思います。 しかし、あくまでも、白木位牌は「仮」のものです。 葬儀では、四十九日間(四十九日間)のつとめを終えると、本位牌(塗りや唐木の金箔付きの位牌)へ変えます。そのため、四十九日間(四十九日間)でできる自分でできる水子供養・幸せをつかむ自宅供養が終了場合は、お地蔵さまへと変化してお祭りします。  そういった意味があり、白木位牌は、金付き黒塗り位牌や唐木(黒檀、紫檀といった硬くて丈夫な木)でつくった本位牌の代わりにお地蔵さまになって送られてくるのです。 自分でできる・幸せをつかむ水子供養では、この意味を踏まえて百か日間(百ヶ日間)の残り51日間の水子供養を行っていきます。  自分でできる水子供養・幸せをつかむ自宅供養の専用「仏行作法」にもとづき、水子供養を毎日行っていきます。四十九日間よりも少し高度ですが、こちらを申し込みされたいと思うかたなら十分に水子供養できます。  また、ポイントのみ抜き出していますが、読むお経も少し長くなり、量的にも増えていきます。  ・般若心経  ・お地蔵さま真言(一般的)  ・あなた自身の水子についてのお経  ・あなた自身にまつわる水子についてのお経  などがありますが、こちらを申し込みされたいと思うかたなら十分に水子供養できます。

百か日間の水子供養が終わったら

 百か日間(百ヶ日間)でできる自分でできる・幸せをつかむ水子供養が終了したら、ある自分で終わった仏具を浄め、感謝をしたためます。 その後、使用した仏具、位牌など諸々のものを執りまとめ、御芯抜きしてもらいます。 それと同時に、供養の終了であることを、水子へ報告し、自分でできる水子供養・幸せをつかむ自宅供養完了とします。 水子に関わる写真など すべて終了しましたら、お写真、手帳など水子関連をお持ちの場合で困っている場合はご相談ください。

百か日間(百ヶ日間)でできる自分でできる・幸せをつかむ水子供養の特徴
1.はじめから全部そろえるのは大変なものですが、必要なものを全部揃えて、御芯入れ(供養)したお地蔵さま、仏具で、正しい水子供養に望んでください。  2.自宅で自分で供養指導にもとづいて実践します。 自分で供養を実践し、総合的な供養をする必要があります。 そのために、自宅で少しの時間を割いていただき水子供養を自分でも行います。  3.それと同時に成田山での百か日間の供養を行います。 あなた自身が供養を申し込んだ段階から水子供養がはじまります。 自分では自宅供養、成田山ではあなたの水子供養を行います。 成田山が行う部分と、あなた自身が自分で行う部分が2つ揃う必要があります。  4.百か日間が終了したら、すべてのものを返却できます。 ほったらかしで、誇りのかぶった仏壇や、お地蔵さま、粗末に扱われている仏具は周囲にありませんか。 本来なら、きちんとした供養する人がいれば粗末にはならないはずです。 そしてあなたは百か日間の供養が終了して、5年、10年、もしあなたが死んだ後も浄めていくことができると思いますか。 成田山では、たくさんのそういった粗末に扱われてきたものをたくさん拝見して、憂いてきました。 粗末にするまえに、御芯抜きして納めてください。 自分でできる・幸せをつかむ水子供養は、終了したら、納め、完了するのが基本なのです。

人任せにしない水子供養

 水子供養の本当の目的を達成するためには、どのようなこと、あるいはどのような心がけが必要なのでしょうか。ここでは供養に対して人任せにしないで親としての真心のこもった深い愛情からの供養の必要性について述べていきます。  成田山仙台分院は年間をとおして供養がとても多い寺院なのです。 ところが、先祖供養の場合と違って、ほとんどの人が、水子供養の意味を勘違いされているようなところがあるのです。 当院で、安置水子供養(永代供養)を依頼されて僧侶の読経による供養をして、それ以降一度も供養室にお参りに来山されることもなく、何の音沙汰もない状態なのです。 持帰水子供養の場合でも、寺院での供養のあとの人任せにしない自宅での自らする供養が粗末になってはいないのかと心を痛めます。  これまでも、いく度も申しあげてきましたとおり、水子の冥福を祈り往生させるためには2つのことが欠かせません。 1.水子供養として、お経をきちんと上げてもらうこと。(寺院や僧侶が行う部分)  2.人任せにしないであなた自身が自ら、親として愛情深く真心をこめて水子の冥福を祈り水子供養し往生するようにすること。(自分で実践する部分)   この2つがそろってこそ、正しい水子供養といえるのです。この両方ともが必要なのでどちらか一方でも欠けることはいけないのです。ましてや両方とも欠けることは言語道断なのです。けれども、一般の人は、寺院で僧侶にお経をあげてもらって水子の供養をして、それで供養がすべて終了したと思っている方がほとんどなのです。しかし、本当はそうではないはずです。   水子を成仏させるためには、人任せにしないで自ら真心をこめて供養しなければならないのです。自ら率先して人任せにしない供養に参加し、自分で水子への深い愛情をもって供養を実践し、総合的な水子供養をする必要があるのです。そして、そのように人任せにしないで真心で実践することが、あなた自らが水子を作ってしまった、という罪を供養という形で自分自身で償うことにもなるのです。それらがすべてそろってこそ、はじめて水子供養という本来の目的が達成できてゆくものなのです。   供養とは、寺院にお布施を包んでお願いすればそれだけでよいものではないはずです。 お墓参りや、法要をおこなう先祖供養などとは違って、あれやこれやとうるさく言われたり、強要されたりして、水子供養をおこなうものではありません。 人任せにしないで自分から進んで真心をこめて水子供養をおこなおうとすることが大切なのです。   それだけに、お寺での僧侶の読経による水子供養のあとに何の音沙汰もないのは、水子は親からの愛に飢えてそれを求める気持ちが大きいだけに、水子にとっても大変辛いものがあるのではないでしょうか。百か日間(百ヶ日間)でできる水子供養・自分でできる水子供養・幸せをつかむ自宅供養を行う場合は、お経が上手に読めた、お経を暗記した、きれいに写経できた、というものには、それほど重きを置いていません。ささやかでも水子供養は人任せにしないで水子への深い愛情をこめて精一杯勉め上げること、その心がけと真心こそが一番大切なのです。この世に生をうけることのなかった水子は親の愛情にたいへん飢えています。親であるあなたの水子の冥福をいのる親としての深い愛情によってのみ水子はよろこんで成仏できるのです。成仏とは仏道修行の結果悟ることができて、迷いの束縛から脱することです。水子がよろこんで成仏するための水子供養なのです。

自宅水子供養

 死後四十九日間水子は来世に生まれる場所が定まらずに迷っています。その期間に法事をし水子供養して水子が極楽に往生できるように願うのです。自宅水子供養について必要な仏具と水子供養のためにおこなうことについて説明していきます。

自宅水子供養に必要な仏具など
 自宅水子供養に必要なものは水子地蔵、念珠、仏具セットなどです。それらについて述べます。  1.水子地蔵  水子供養において位牌のかわりに立てるのが水子地蔵です。地蔵菩薩は釈迦の委託をうけて、釈迦の入滅から弥勒仏が世に出るまでの仏がいない間に六道の衆生に仏の教えを伝え広める菩薩です。六道とは衆生が来世におもむく住処を前世の業によって、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六つに分けたものです。六道にあらわれ全ての衆生を救うので地蔵菩薩は別名を六道能化ともいわれます。地蔵菩薩は賽の河原の救済者として子供の守護者として信仰されています。賽の河原の地獄絵図をじっくりと観察すると子供と鬼のほかに地蔵菩薩が描かれているのがわかります。  2.念珠ねんじゅ  念珠は供養で水子地蔵を拝むときに手首にかけて、すりもみして読経します。また念珠には念仏の唱える回数を数える役目もあります。中間に大珠おおだまがあり母珠といい、そのほかを子珠といいます。珠の数は通常百八個で、百八の煩悩を除いて苦しみをなくして楽を得る意味がこめられています。煩悩とは貪・瞋・癡(とん・じん・ち)つまり貪り、怒り、愚かさ、など悟りを妨げる全ての精神の作用のことで心のけがれともいわています。  3.仏具セット(線香1箱、香呂、香呂灰1袋、ローソク1箱、ローソク立て、お水いれ、リンセット一式、お供物台、その他消耗品の一切。)
あなた自身が行うこと
 仏行作法(供養をするきまり)にもとずいて自宅水子供養をして写経もします。そして自宅供養終了したあとの仏具の取り扱いなどについて説明します。  1.仏行作法  ※自分でできる水子供養・幸せをつかむ自宅供養の専用「仏行作法」にもとづいて供養を毎日行っていきます。四十九日間よりも少し高度ですが、こちらを申し込みされたいと思われる方なら十分に供養できます。  2.水子供養写経  亡くなった水子の供養のため、あなたの幸せをねがうために経文きょうもんを書き写すのが写経です。水子からの加護に感謝し、供養した内容、あなたの水子への思いをしたため、写経します。一般的には般若心経の写経になります。般若心経は大般若心経を要約したもので、諸法皆無の理を二百六十二文字のなかに説いています。般若心経は一切是空の理によって般若を得ることを解いた、大乗仏教の経典の総称です。般若とは悟りをひらくための最も根本的な智慧で、分別・妄想を離れて実相・真如を知る智慧なのです。現在日常的になっているインターネット環境では、不確定な情報やよこしまな情報に心が迷い、怒りや貪り、愚かさといった煩悩の雲に覆われて迷いや苦しみの原因となり、正しい心のありかたや正しい日を見失いがちです。仏教では、私たちの心の中には本来、さとりの心(仏心)が誰にでも備わっていると説いています。そこで、心の迷いを断ち切る智慧の体得がたいへん重要になってきます。  3.水子供養終了後の仏具返納  成田山で終了したあとの仏具、位牌の芯入抜き(供養)をするにしましても、百か日間の水子 供養が終了したあと、供養をきちんとしましたということ、あなた自身が関わった一切のものをまず、浄めてください。その後、成田山仙台分院へ、粗末にしないで返しましょう。

お地蔵様

白光に輝いたお地蔵様  地蔵菩薩というのは、すべての生命が一人残らずさとりの世界へたどりつくまでは、迷界へ留まって、悟界へ帰らぬ、と誓われた大慈悲の仏さま。 お地蔵さまは、一般に子供の仏様として信仰をうけています。  成田山仙台分院の建設工事中に、地中から1体のお地蔵さまが掘り出されました。 そのときに、何百年も地中にいたお地蔵さまが太陽の光の加減で白くひかり輝いたように見えました。お地蔵さまは再び、この世にでてこられた大きい喜びを表されたかのようで、以来その白くひかり輝くお地蔵さまのお姿から子育て地蔵として衆生から信仰をうけてきています。そのようなことから、とくに、生きているお地蔵さまとして大変に評判が高く、供養参りの方が絶えることはありません。  小さく素朴なお地蔵さまゆえの姿から思いを馳せて、水子絵馬をかけられ供養する人が後を絶ちません。水子とは、死産、流産、中絶した子供のことで、名もなく戒名もなく淋しく葬られてしまった子供のことです。水子は幸せが薄いだけに、両親の自分にたいする深い愛情とやさしい言葉による供養をより一層欲しがっているといわれています。   死んでから後に「賽の河原」でお父さん、お母さんを自分が(水子自信が)悲しませてしまった・・・という罪の意識から石を積んで徳を積み、その罪を償うといわれています。 このように水子は徳を積みますが鬼に邪魔を受けます。この子を守ってと供養の心がお地蔵さまに通じ、水子は守られます。  生きとしいけるもの、この世にいるものはすべて、人は死んだらそれでおしまいというわけではありません。すべての衆生は死んだ後に必ず来世に生まれ変わります。来世では、「地獄界」、「餓鬼界」、「畜生界」、「修羅(しゅら)界」、「人間界」、「天上界」の六つの世界(六行)があり、私達はこの六つの世界(六行)を転生しつづけるのです。   苦しみの多い世界に生まれるか、苦しみの少ない世界に生まれ変わるかは、その人の生前の「業」によって決まると言われています。「業」とは私達の身、口、意が作る善悪の行いです。私達は、供養することにより亡くなられた方が、少しでも苦しみが少ない、幸せな来世に生まれ変わって欲しいと願っています。 供養することにより冥福(来世での幸福)を祈るのです。   しかしながら水子はもうすでに亡くなり、この世で自分の善行(仏さまへの供養、徳)を積むことが出来ません。また「賽の河原」でお父さん、お母さんを自分が悲しませてしまった・・・という罪の意識から石(徳の代わり)を積んで罪を償うといわれています。 でも、その積み上げた石すら鬼たちに崩され、邪魔され積むことができない存在なのです。   そこで生きている私たちが善行(仏さまへの供養、徳)を積み、その善行を振り向けて、仏さまに供養というかたちでお願いをします。 水子はとくに、お母さん、お父さんの親の深い愛情とやさしい言葉による供養を大変欲しがっているといわれています。   生きている子供なら親が愛情深く直接かまってあげられますが、水子には、もうそれができないのです。しかしかたちは違っても親が自分の子に与える深い愛情を供養というかたちで伝えることはできます。あなた自身で水子のために善行を積んで供養して仏さまに功徳(来世で幸福をもたらすもと)としてお願いし仏さまから水子へ振り向けてもらうことなのです。 これが供養となるのです。

水子はとてもかわいそうな存在です。  賽の河原で、「お父さん、お母さんを自分が悲しませてしまった罪」から、泣きながら、そして、泣き続けながら、1つ積んでは父のため、2つ積んでは母のため、3つ積んでは兄弟の・・・、4つ積んでは・・・と唱えつつ水子は鬼に邪魔されながらも、泣きながら小石を積み善行(仏さまへの供養)を積んでいくといわれています。

水子と間引き

 「間引き」という言葉があります。農作物や草花などを育てるときに使う言葉です。 よいものだけを残して、それが十分に大きくなり、栄養が取れるようにと他のものは摘み取ってしまいます。 そしてまばらにして農作物や草花などが成長するのを待つのです。 これを「間引き」といいます。  しかし、この「間引き」にはもっと深くて悲しい意味もあります。 昔、「貧乏人の子だくさん。」といわれるように、食べ物がなくて貧しかった頃、子供が多いと食べるのにも苦労しました。 そして、食べ物がなくて扶養できなくなった子供を親が殺す(間引く)というものです。  子だくさんの家族を食べさせていく苦労が非常に重荷になり、親としての子への愛情などといった才知の働きがが鈍るというまさに「瀕すれば鈍する。」の状況だったのでしょう。  天候不順による大飢饉の時にはとくに「間引き」が多く、その間引かれたたくさんの子達の冥福を祈り供養のために路傍にお地蔵さまが江戸時代に数多く立てられたのでした。特に江戸時代の四大飢饉があげられます。異常気象による寛永の大飢饉(1642〜1643)、冷夏による享保の大飢饉(1732)、冷害による天明の大飢饉(1782〜1787)、冷夏による天保の大飢饉(1833〜1839)が江戸時代の四大飢饉です。四大飢饉のほかにも元禄の飢饉(1691〜1695)、宝暦の飢饉(1753〜1757)、延宝の飢饉(1674〜1675)、天和の飢饉(1682〜1683)などの飢饉がありました。明治時代以降は農業技術の進歩と物流の発達によって大飢饉は姿を消したのです。  生活保護などの社会福祉制度の充実した現代では食べ物に苦労して・・・というのはないでしょう。 そのほとんどの場合は、親や家庭の事情によるもので供養される水子はとてもかわいそうな立場にあると言わざるをえないでしょう。  「お父さん、お母さんを自分が悲しませてしまった罪。」ではなく、「お父さん、お母さんが間引いて殺してしまった罪。」を本来であれば、お父さん、お母さんが、十分に供養して償なわなくてはならないのではないでしょうか。

水子の年齢を数える  「供養しながら亡くなった子供の年を指折り数えていく。」、お母さん、お父さんにとっては辛く悲しいことばでもあります。この言葉が示すとおり、乳飲み子や胎児との別れがいかに辛いものなのかをあらわすエピソードなのです。 そして、実際はお父さん、お母さんは、どんどん年をとっていくのに、供養される水子は成長しておらず、お母さん、お父さんにとっては赤ちゃんのままの姿なのです。 また、死んだときの顔が分からないだけに供養には複雑な思いが残ります。 どちらにしても、あどけなくかわいい赤ちゃんのイメージがずっとつきまとうことになります。  それでも、お父さん、お母さんは、供養するたびにしみじみと思います。 「お宮参り、七五三参り、入学式と本来なら家族一緒に迎えることができたのではないか・・・」と1人で悲しく思うこともあるかと思います。 でも、その気持ちは、お父さん、お母さんだけではなく、本当は供養される水子にもあるのです。 供養される水子には、それを伝えるすべがなく、「お父さん、お母さんを自分が悲しませてしまった罪」をずっと持ち続け、供養するお父さん、お母さんと同じ気持ちで毎日を過ごしているのです。  仏教では回向えこうが供養にはとても重要です。回向とは自分の善行の功徳をほかにまわしむけることです。つまり親が自分の善行を他に施し与えて水子が浄土に往生するように供養し願うことなのです。

水子絵馬

お地蔵さまと水子参りのつながり  お参りをみていますと、よくお地蔵さまにかける水子絵馬をお参りする姿があります。大部分は水子に対するお参りのためのようです。 その絵馬に書かれた、たどたどしい文章を読んでいくと、身につまされる思いがしてきます。 あなた自身にとって大切な愛情対象となっていたはず水子を、いろいろな事情から、やむおえなかったとはいえ、水子へ償いの言葉がたくさん書かれています。  しかし、それと同時に思うことは、さっと来て、たった1分〜2分のお参りのみで、絵馬を書き上げ、すぐに帰っていく姿をみていると、これ以上この人は、この1分〜2分だけでもう何の思いもないのだろうか・・・と水子がかわいそうで、涙がでてきます。

水子参りと水子への願い  絵馬は、願(がん)をかけるとき、および願をかけた願いが叶ってその謝礼をするときに、寺社に奉納する、絵が描かれた木の板のことです。 個人で奉納する場合の絵馬は小型で、馬、その年のえと、ほとけさまの絵が描かれていて様々な種類、形があります。 余白や裏面に願の内容や氏名などを書くようになっているものがほとんどで、そこに思いや、願を書いてかけていくようになっています。 大人数で奉納するものは大型で、画家に描かせたものを奉納者が用意したりしました。  通常は五角形(家型)をしているが、これはかつて、板の上に屋根をつけていた名残でもあります。現代では様々なかたちと色がありますが、このようなかたちがポピュラーです。  奈良時代の『続日本紀』には、神さまの乗り物として、本物の馬を奉納していたことが記されていました。 馬は高価でなかなか献納できず、一般的にも入手が困難な時代で、献納された寺社の側でも馬の世話をするのが大変でありました。 そのため、次第に木や紙、土で作った馬の像で代用されるようになり、平安時代から板に描いた馬の絵で代えられるようになったということです。  さらに、室町時代になると馬だけでなく様々な絵が描かれるようになりました。 また、桃山時代になると著名な画家による絵馬が持てはやされて、それらを展示する絵馬堂も建てられということです。  そのように、お参りするものが、お参りする日を決めて、以前から準備し、労力をかけ、はじめて絵馬を奉納したのです。 しかし、今の絵馬奉納はあんまりにも準備不十分で気軽になりすぎました。 これでは、水子のためにと言ってもあまりにも・・・と思うのは私たちだけでしょうか。  江戸時代になると、家内安全や商売繁盛といった実利的な願いをかける風習が庶民にも広まり、今日のように個人が小さな絵馬を奉納する形は江戸時代から始まったものだそうです。 また近年では、お参りした証、願をかけた証として残していく方が多いようです。  このように絵馬のいわれがありますが、あなた自身の願を絵馬に書くことによって、それが早く良くなり、神仏に直接お願いし、願いが神仏の目に触れるように、神仏の注意を引くことが目的だったようです。
水子参りと水子絵馬の意味  そのように、お参りする日を決めて、以前からさまざまと準備し、労力をかけ、はじめて絵馬奉納したのです。しかし、今日のような絵馬奉納は、あんまりにも準備不十分、気軽になりすぎました。 線香も、ローソクも供えずさっさと帰っていく・・・。 これでは、お願いし、あなた自身の願いが仏さまの目に触れるように、仏さまの注意を引くことがねらいとはいえ、それは通じないのではないだろうかと心配に思うのです。 水子絵馬も同様で、水子絵馬という形を借り書くことで仏さまの注意を引き、水子に直接思いを届けて、言葉を語りかけてもらうことなのです。 そして、水子絵馬には短い文章の中に、それぞれにおかれた状況が表われています。 自身の手で葬り去ってしまった事に対する水子への謝罪と、やむなく失うことになった悲しみが書かれています。 生まれていれば飲んだであろう牛乳などをお供え物としてあげたりすることで、自身の心の空白を埋めようとしているのでしょう。 本来、このような書き方はよくありません。水子絵馬を納絵馬したことは事実としていますが、書き方1つで自己満足と愛情の押し売りになってはいないでしょうか。 本当は、罪悪感を持つだけではだめなのです。水子は「お父さん、お母さんを自分が(水子が)悲しませてしまった罪」と思って、泣きながら小石を積み善行(仏さまへの供養)を積んでいます。 示さないといけないのは、その謝罪の言葉だけではなくて、水子への感謝の気持ち、水子の幸福を願っていくことも書かなくてはいけないのです。
水子参りでなぜ水子絵馬を書くか  水子絵馬を書くことは水子がいるという悲しみを乗り越えるための重要な精神的な面での善行(仏さまへの供養)のひとつです。 水子というのは、あなた自身に見捨てられてしまったという気持ちがあり不安定な面があります。そして水子を持っているあなた自身はどうでしょうか。 あなたの水子は、仏教でいう仏行修行を積んでこれなかったのです。 その修行が不十分だったものは、冥土の裁判官によって地獄への苦境に落とされるとされています。 それを防ぐ為に、あるいは一度地獄へ落ちたもののために救い出すに、残された身内、縁のあったものが、お坊さんにお経を読んでもらったり、お布施したりして、死者の変わりに功徳(来世で幸福をもたらすもと)を積んであげることが必要です。 それが水子にとっての功徳(来世で幸福をもたらすもと)、あなたにとっての善行(仏さまへの供養)、となるのです。 いわばあなた自身が、水子の代わりに修行するのです。 あなた自身で決めて、水子絵馬を奉納することで参加、水子絵馬を書く事で実践し、そしてなお、あなた自身の「心」と「行動」、自然でかつ、総合的なお参りをする必要があるのです。 それが、あなたにとっての善行(仏さまへの供養)、水子にとっての功徳(来世で幸福をもたらすもと)となるのです。
水子参りで水子絵馬を書く意味  おそらく通常の場合、水子がいることの心の傷が癒えるには、とても長い時間がかかることでしょう。 しかし、水子絵馬を書くことは、絵馬という形を通して、こころで涙を流すことです。そして、水子絵馬という形を借りて書くことで仏さまの導きで水子に思いを届けて、言葉を語りかけてもらうことなのです。 まず、こうした絵馬奉納は、本格的にやろうとすれば、作法も細かく規定されているのですが、ここではひとまず、自分でできる水子参りという簡単な作法があります。 そこから1部抜粋して紹介します。 水子絵馬は単なる手紙ではありません。 水子への謝罪の言葉だけではなくて、感謝の気持ち、幸福を願っていくことも書かなくてはいけないのです。 そのため、書くにあたって、いくつかのポイントがあります。 自分でできる水子参り、幸せになる絵馬供養で水子絵馬を書く際には、以下のことに気をつけていただいています
水子絵馬を書く準備 仏行作法より水子絵馬を書く準備のポイントのみを述べます。  1.室内を浄める  2.心身を浄める  3.法楽  4.浄写  5.祈念  というようなことが上げられます
水子絵馬の内容 ・過去:具体的な日時、そのときの様子など、その時思ったこと  ・現在:その後から今日まで、どのくらいの月日がたち、どのようなことが自分におこり、現在は水子に対し思っているのか  ・未来:水子が自分にとってどのような存在になって欲しいか、水子にどうあってほしいか、そして、その水子がそのようになって欲しい為に、自分はどのようにしていこうと思っているか。そして、今後どのように行動していきたいか。  この3つを中心に書いていきます。 だいたい、400字から1500字程度以上で書いていきます。 いきなり絵馬に書いてもいいですが、鉛筆で下書きするか、絵馬に書く前に別紙に下書きしてもいいです。出来るだけ、具体的に書ければなお良いでしょう。 1人で書くのは大変です。 そして、辛くて、途中で投げ出したくなるかもしれません。 でも、大変でも全部やり通すこと、水子絵馬1枚ずつ仏行作法によって省略せず書くことを守ってください。 それが、あなたにとっての善行(仏さまへの供養)、水子にとっての功徳(来世で幸福をもたらすもと)となるのです
水子絵馬奉納が終わったら  正しく水子絵馬を書くことで、悲しみが少しずつ和らいでいきます。 水子に謝り続けることで、水子はお父さん、お母さんの罪を許してくれる水子へと徐々に変化していきます。「あなたを守っているから、寂しがったりしないでね」と語りかけることで、水子になにもしてあげられなかったという罪悪感が、書くことで整理され少しずつ癒されてゆきます。 そして、最後には、水子は親の心の中で、良い対象、自分と家族を守ってくれるべき対象として定着してゆくのです。  たとえこの世に生まれ出られなかった水子であっても、ひとりの人間、かわいい子どもであったことにかわりはありません。 その子に、水子絵馬を通して言葉をかることは、水子の心をなだめ、愛情をかけ、最後には、水子は親の心の中で、良い対象、自分と家族を守ってくれるべき対象として定着していくのです。  水子絵馬を奉納することは、あなたが自分で決めて、水子絵馬を奉納することで参加、水子絵馬を書く事で実践し、そしてなお、自分自身の「心」と「行動」、自然で総合的なお参りをする必要があるのです。 それが、あなたにとっての善行(仏さまへの供養)、水子にとっての功徳(来世で幸福をもたらすもと)となるのです。 そしてそれは、水子に声をかけること、そして成長していく水子に愛情をかけるとうことです。  いのちの流れの中でも、水子は不確かな存在です。 しかし、明らかにそれは「いのち」です。 善行(仏さまへの供養)、水子にとっての功徳(来世で幸福をもたらすもと)よい行いを積むことは、本来は水子のためなのです。  しかし、その良い行いは、これから人生の困難な問題に直面したときに、最終的にはあなた自身に、水子はいつでも手助けしてくれる対象として、戻ってくるのです。
どうして水子絵馬で書く必要があるのか  なんにもないけれども、家のなかの一定の場所で自分でお参りをするだけで十分気持ちが伝わります、という人がいたらそれは、なかば間違っています。 でも、半分はあたっています。確かに形(形式)ではなくしたいという気持ちはとても大切です。 これが1番はじめになくては、お参りそのものが意味をなさないのは事実です。 しかし、なにもなくてもいったんお参りして、その情景を思い出しながら、その上で行うならよいのでしょうがそれでも大変難しいものです。 なにもないところで実際に供養してみてください。 きっとうまく集中してお参りすることが出来ないでしょう。 修行した、私たちにとってもとても難しいことなのに、思いつきでやっても集中できないのは当たり前なのです。  仏壇や仏さまは、本来、先祖をまつるもの、供養するという認識があるから自然に入っていけるのです。 しかし自然にそれを行うことは、普段から訓練し、たしなんでいるからこそできることです。はじめに、なにもない場所で、自分でお参りをするだけで十分気持ちが伝わります、という人がいたらそれはなかば間違っているとうのはそういうことです。  水子参りも同様で、本来ならなにも水子絵馬を用いなくても良いのです。 なにもしなくて、語りかけ、言葉をつむぎだすのはとても難しいことなのです。 お地蔵さまを拝むのはそこでとても重要な意味が発揮されるのです。 そこへ水子絵馬を使って、仏さまにお願いできるという安心から、はじめて集中できるのです。  そこで初めて絵馬が、水子にとっての功徳(来世で幸福をもたらすもと)、あなたにとっての善行(仏さまへの供養)、となる意味ができるのです。 そして、いわばあなた自身が、水子の代わりに集中し修行するのです。
24日お地蔵さまの日  毎月24日お地蔵さまの日には、成田山では、水子絵馬を奉納する儀式を厳修いたします。 水子の冥福のために、追って功徳(来世で幸福をもたらすもと)を積んで霊を弔うことを言い、その積み重ねられた功徳(来世で幸福をもたらすもと)により地獄のような苦を離れ、極楽浄土といわれる安楽を得るためです。  水子にとっての功徳(来世で幸福をもたらすもと)、あなたにとっての善行(仏さまへの供養)を、毎月24日お地蔵さまの日に捧げて下さい。 水子を敬い、水子の労苦に感謝の誠を捧げるとともに、理想の実現に向けて決意を新たにしていただくためです。
水子絵馬を納める日  お地蔵さまの縁日の24日に納絵馬してください。 水子絵馬は、書きましたら奉納します。 それは、あなた自身が、仏行次第を行い、水子絵馬を奉納することで参加、水子絵馬を書く事で実践し、そしてなお、自分自身の「心」と「行動」、自然で総合的なお参りをする必要があるのです。 ですので、水子絵馬を奉納し、納絵馬することで完了となります。 その日は、お地蔵さまの縁日の24日に納絵馬してください。 その日に奉納することで、お地蔵さまとのご縁がより深くつながり、お地蔵さまがあなたの絵馬を通して、水子に功徳として振り向けてくださいます。
水子絵馬を書き上げたら  近くに、毎日成田山のようにご供養していて、かつ、お地蔵さまがまつられているところがあればそちらに納絵馬します。 もし、お近くにない場合は、こちらに水子絵馬専用の奉納台がありますから、送っていただければ、お地蔵さまの縁日の24日に納絵馬します。 また、毎月24日までに到着しなかったものは次の24日に、あなたに代わり手厚く納絵馬させていただきます。 納絵馬された絵馬は、あなたの代わりに、お地蔵さまへ奉納して、掛けさせていただきます。
絵馬供養の特徴 1.成田山で供養した水子絵馬  あなた自身のお名前をいただいて、水子絵馬をおつくりします。 この絵馬の自分で書くところがあります。 そこに仏行次第の通り書いていきます。御芯入れ(供養)した絵馬で、正しい水子供養に望んでください。 2.納絵馬できる  自分でできる水子参り、幸せになる絵馬供養の特徴は納絵馬できること。 書いてほったらかしでは仏さま の功徳を水子に振り向けることはできません。 そのため、お地蔵さまのそばに納絵馬する必要があります。 また、1年たちましたら、供養をきちんとしましたということで御芯抜きし、お炊き上げします。 自分でできる水子参り幸せになる絵馬供養は、水子参りが終了したら、納め、完了するのが基本です。
自分でできる水子参りをすることが幸せになる修行
 あなたが自分で決めて、水子絵馬を奉納することで参加、水子絵馬を書く事で実践し、そしてなお、自分自身の「心」と「行動」、自然でかつ、総合的なお参りをする必要があるのです。 それが、あなたにとっての善行(仏さまへの供養)、水子にとっての功徳(来世で幸福をもたらすもと)となるのです。

水子供養担当より

水子供養担当よりメッセージ  インターネットで学ぶ自分でできる水子供養・幸せをつかむ自宅供養は、自分でも正しい供養方法で、自宅でも供養を実践できるのです。  それと同時に、私たちも、あなたとあなた自身の水子のために、心を込めて供養をいたします。 そして、総合的な供養を実践していきます。  あるべき本当の水子供養とは、本来そういったものなのです。 新しい試みとして、自分でできる水子供養・幸せをつかむ自宅供養をインターネットのみでおこなっていきますが、これをきっかけに、これはあなた自身が水子をつくった罪を償い、そして幸せになっていくための供養だと考えてください。  これまでに何度も述べましたように、水子は親の愛に大変に飢えて、その愛を求めてさまよっているのです。あなたの真心のこもった深い愛を水子に差し向けて、その子が冥途での道に迷うことなく、幸せに、そして喜んで成仏できるように、その子の冥福を祈りましょう。これは親であるあなたにしかできないことなのです。  それには、現状を変えていくために自分で供養を実践していかなくてはなりません。 また、いままでの一方的な水子供養に満足していてはいけません。 水子のいる人、自分の水子ではなくともそれに原因がある人、そしてなによりも、あなたに真心から供養をしたいという気持ちがあるのなら自宅でも十分に水子供養ができるでしょう。 私たちは、あなたの水子を成仏させ、あなた自身も幸せになっていくお手伝いをさせていただきます。  合掌

水子供養に関するお問合せは下記にて承ります。

真言宗成田山国分寺
住所   :〒980-0845
       宮城県仙台市青葉区荒巻字青葉33–2
電話番号 :(022)225–8640
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