水子供養の真言宗成田山国分寺インスタグラム

般若心経

般若心経とは

 このお経は、宮城県仙台成田山で水子供養をする際に読経している般若心経の解説です。成田山へ水子供養に立ち会われる方や、水子供養をお願いしようと思っている方は、水子供養で読経されるお経の解説に目を通されてから、水子供養に参列いただければと思います。

般若心経の前置き

「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」

•読経 仏説摩訶般若波羅蜜多心経  観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智亦無得。以無所得故、菩提薩、依般若波羅蜜多故、心無礙、無礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。 即説呪曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経 (カンジザイボサツ ギョージンハンニャハラミッタジ ショーケンゴウンカイクー ドイッサイクヤクシャリシシキフイクー クーフイシキ キソクゼクー クーソクゼシキ ジュソーギョーシキ ヤクブニョゼ シャリシ ゼショホークーソー フショーフメツ フクフジョー フゾーフゲン ゼコクーチュー ムシキ ムジュソーギョーシキ ムゲンニビゼツシンイ ムシキショーコーミソクホー ムゲンカイ ナイシムイシキカイ ムムミョー ヤクムムミョージン ナイシムローシ ヤクムローシジン ムクシューメツドー ムチャクムトク イムショトクコ ボダイサッタ エハンニャハラミッタコ シンムケゲ ムケゲコ ムウクフ オンリイッサイテントームソー クキョーネハン サンセショブツ エハンニャハラミッタコ トクアノクタラサンミャクサンボダイ コチハンニャハラミッタ ゼダイジンシュ ゼダイミョーシュ ゼムジョーシュ ゼムトードーシュ ノージョイッサイク シンジツフコ コセツハンニャハラミッタシュ ソクセツシュワツ ギャーテーギャーテーハラギャーテー ハラソーギャーテー ボジソワカ ハンニャシンギョー )  般若心経を水子供養をお願いされる皆さまと一緒に勉強するというようにしたいと思います。 般若心経と言いますと一般的なお経です。 仏教のお経というのはたくさんあります。 八万四千のお経があります。 今日、最も権威があるといわれている漢文のお経の集大成「大正新修大蔵経収録(唐三藏法師玄奘譯)」と呼ばれているものがあります。その中にある1万巻程度のお経が集録されております。  その全てを学ぶというのはなかなかできません。私達が一生かかっても難しいという事です。しかしながら、その中でいくつかでも勉強していくと、仏さまが説き、残され、現在まで受け継れたものというのが一体なにだったのか分かってくるのではないかと思っております。  その中で般若心経というのは大変短いお経で一度は耳にしているお経です。 水子供養をお願いされるみなさん寺社仏閣に集うという人達のなかには毎日お唱えしている人もいるかもしれません。また普段、仏壇の前でお唱えするのにも、ちょうどいいわけですし、あるいは、写経なんかの題材にとしてもよいです。そのような意味で広く般若心経は浸透しているのです。  しかし、その一方なかなか般若心経が何を言おうとしているのかというところまで多くの人は知らないのではないか、そこまで勉強しようという気持ちをお持ちの人は少ないのではないかと思います。あるいは又、本当は勉強したいのだけれどもなかなか手頃なテキストが無い、あるいはそれを教えてくれるような方が身近にいらっしゃらないなどという理由も考えられます。  私もまだまだ修行途中です。必ずしも深い所まで般若心経を呑み込めているかどうかは疑問です。  浅い理解に過ぎないのではないかと思いますが、ただそれを水子供養をお願いされる皆さま方と一緒に勉強していきながらて私自身も理解を深めていきたい、また、皆さま方にも般若心経の説こうとしているお釈迦さまの智慧の一端に少しでも取りかかって頂けるとありがたいと思います。

般若心経の和訳

 お経はインドで成立したものです。 インド、つまり、天竺で釈迦の説かれたものだといれております。 水子供養をお願いされる皆さまや私達は普段目にしておるお経というのは漢文で書かれています。 これは中国でインドの言葉から翻訳されたものです。  しかし当然の事ながら、それには原典があります。 インドの言葉、つまり梵語です。 サンスクリット語、あるいはパーリ語などの原典があります。  実際のところ、その原典と漢文とは若干、音の合わせが違う部分があります。 その辺についてはあまり詳しくせず、漢文から書き下ししたものと、本来は梵字で書かれているサンスクリット原典をローマ字に書き直し更に日本語に訳したものとの、二つの般若心経があります。  『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』 読み下しといいますが水子供養をお願いされる皆さまにもこれはだいたい分かると思います。 梵語訳の般若心経は私も一生懸命してみたものなのです。 今までサンスクリット語を勉強したことがないので、誤って書いていろところもあるかもしれませんが後々訂正していきますので、ご了承ください。 まず、この書き下しの般若心経、それから、梵語から和訳へとした般若心経について一通り読んでみます。  読み下し  「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」 「観自在菩薩、深般若波羅蜜多を行じられし時 五蘊は皆、空なりと照見され、一切の苦厄を降ろしたもう 舎利子よ色が空に異ならず空は色に異ならぬ 色は即ちこれ空なり空は即ちこれ色なり 受、想、行、色、もまたまたかくの如し 舎利子よこの諸法は空想なれば不生にして不滅、不垢にして不浄、 不増にして不滅なりかるら故に空の中に色無く受も想も行も識も無し目耳鼻舌身意も無く 色声香味触法も無ければ眼界も無く意識界も無い無明も無く 又、無明の尽きること無いし老死もなく、又老死の尽きることことも無し苦集滅道も無し 智もなく、又、得も無く無所得を持って故に菩提薩陲が般若波羅蜜多心によるが故に心に圭礙無く 心に圭礙無しが故に苦怖あることなく一切の転倒夢想を遠離して究竟を涅槃す 三世諸仏が般若波羅蜜多によるが故に 阿耨多羅三貘三菩提を得たなり故に知るべし般若波羅蜜多は これ大神呪なりこれ大明呪なりこれ無上呪なりこれ無等等呪なり よく一切の苦を除く真実にして偽らならざるものなり 故に説かん般若波羅蜜多の呪をすなわち呪を説いていわく掲諦掲諦波羅掲諦波羅僧掲諦菩提薩婆訶般若心経」 梵文和訳 「般若心経」  「聖観自在菩薩は従順なるプラジニアパーラミターにおいて行を行じさる時に観察した。五蘊あり四法してそれらは自性を欠いだものであると見抜かれた。ここにおいてシャーリプトラよ色は空性であり空性なるものがしきである色は空性を離れてあるのではなく空性もまた色を離れてあるのではないつまり色は全て空性であり空性なるものが全て色なのである  受と想と行と色も同様であるここにおいてシャープトラよ一切の現象は空性を相とするから生ぜず減ぜず汚れること無く汚れを離れることということもなく減ることも無く増えることも無い  然るが故にシャーリプトラよ空性であるということにおいて色も無く受もなく 想もなく行もなく識も無い眼も無く耳も無く鼻も無く舌も無く身も無く意もない、  色も無く声も無く香もなく味も無く触もなく法もない眼界もないし一意しき識界もない 明も無く無名も無く明の尽きることも無明の尽きることもないし老死もなく無老死の尽きることも無く 苦集滅道も無い  智も無く得も無い無所得の故に菩提薩陲は般若波羅蜜多心に移住するので心を妨げられることもない  心を妨げられることが無いので怖れも無く誤まった考えを超越して涅槃に至る 三世常住の一切諸仏は般若波羅蜜多によってこの無常〔しょうとうしょうがっこう〕完成されたのである それ故に般若波羅蜜多は偉大なる真言、偉大なる知識の真言、最少の真言、比類なき真言であり  一切の苦行を癒すと経解せられるべきである真実であり、 偽りでないクラジミアパーラミターにおいて書かれた真言である すなわち、掲諦掲諦パーラギャテーパーラサムギャテーボーディソワーハー以上斯くの如く般若波羅蜜多の真相は終結せられた」  若干、聞いていて、水子供養をお願いされる皆さまや私たちが普段読んでいる般若心経を書き下したものと、サンスクリット原典から翻訳したものとでは、少しニュアンスが違うのではないかと思われたのではないでしょうか。

お経の題名(経題)

 「般若心経」を学ぶ「初重講座」から始めます。 「般若心経」の言葉の意味です。 それを水子供養をお願いなさる皆さまと勉強していきます。  般若心経を実際に書き下したものをそのまま読んでも水子供養をお願いなさる皆さまもある程度分かるということはあります。 しかしながら、一字一句の言葉の意味というのは、実はよく分からないので、結局全体の意味がとれない、何を言っているのかさっぱりわからない、そういうふうな印象になってしまうわけです。  ですから、まず、「初重の講」これについては言葉の意味というものを水子供養をお願いなさる皆さまと一緒に捉えていこうと思います。 経題は経典の性格と内容を示す標識なのです。  お経の頭についている題名というのは漢訳経的特有のものなのです。 漢文にしたお経には最初に何々経というふうに書いてありますが、これがサンスクリットの原典ですとか、あるいはチベット語に翻訳されたお経には、このようには書いていないそうです。 不思議です。  いきなり「南無一切智者に帰依し奉る」 そういう言葉から始るそうです。 ですから、そういったところがまず違うということが分かります。  水子供養をお願いなさる皆さまも聞いていて分かったと思いますけれども、そのかわりにさっきのチベット訳の方は一番最後に議題みたいな形で付いています。 「以上で、・・・について終了すると」そういうふうに聞いていて感じます。 それが梵語と漢文のお経の違いだということです。  それからもう一つ、経題は単なるタイトルではありません。 名は体を表すと言いますが、経題名は経典の内容を表しています。 その中に何がかいてあるとかを総括した標識のようなものだと考えられます。  経典の内容です。 凝縮したものですから、この経題を読むとその経題を理解することによってそのお経がその中に何を述べようとしたものであるのか、どういう性格か、あるいはどういう種類のお経なのかをだいたい伺うことができます。特に、中国とかあるいは朝鮮、日本、それを漢字文化圏の国々では、そのような視点からみてもお経の題名というのは非常に重要なものだと考えられています。  いろいろなお経の解釈が多くの本に書かれています。 しかし、大昔のものは大体まずお経の題名を解釈するところから入るのです。  よく、書物の解説のことを解題といって、つまり題を説くとか題名を説くという意味があります。 それだけ、昔から漢字文化圏ではその書物の題名というものに対して非常に注意を払っていたということになります。 それが、こういう言葉として、更にはこの時代となりますと、このお経の題名というのはお経の内容を凝縮したようなもので、経題の中にお経の中身が全部入っているのだから、お経の題名を唱えるだけでお経一巻を読んで実践するのと等しいだけの功徳があるのだと、このように考える人々も現れてくるわけです。

宗派と般若心経

 一番具体的な例というのは日蓮宗でお唱えする題目です。 「南無妙法蓮華経」あるいは「南無妙法蓮華経」「法華経」の題名を唱えるわけです。 それによって法華経一巻を全て唱えたのと同じだけの利益が有るという、このような考え方からできたのが題目です。 それだけ題名が重要だということが言えます。  皆さまと私たちが読もうとするお経が般若心経です。 般若心経の題名は『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』です。 この題名を使っているのは真言宗あるいは華厳宗、法相宗、鳴門系仏教とかですが、そうした宗派は頭に『仏説摩訶般若波羅蜜多』と入れるのに対して、天台宗、鎌倉仏教である禅宗、浄土宗、そういった宗派はこの『仏説』をつけません。  天台宗は『摩訶般若波羅蜜多心経』といいます。 この違いがあります。 日本の仏教の中には、この般若心経を読まない宗派もあります。 浄土真宗、日蓮宗です。 この2つの宗派は般若心経だけは読みません。  宗派で読まないだけであって、もちろん檀家や信徒の中には日蓮宗、浄土真宗だけれども般若心経を読む人もいるかもしれません。その二つの宗派を除くと、日本のどの宗派もだいたい般若心経を読むのです。 恐らく日本で一番よく読まれているお経の中の一つではないでしょうか。 水子の供養をお願いなさる皆さまも思い当たるふしがあるかと思いますが、それだけ浸透しています。  ところで、この題名の中に般若心経とあります。 それから何がこの題名から分かるのかということです。 水子供養をお願いなさる皆さまと頭から学びましょう。  「仏説」つまりこの題名から解釈するならば般若心経というのは仏説であり仏が説いたお経です。 この2文字にそれを表しています。 仏というのは仏陀のことです。 仏陀というのは、目覚めた人、悟った人ということです。  仏陀というのは普通名詞なのです。 特定のものを指す固有名詞ではありません。 悟った人は、みんな仏陀と呼ばれていたというのが本来のインドのあり方なのです。 ただ、狭い意味で仏陀という場合、これは紀元前5世紀ぐらいに実際にインドに現れて、修行の結果、悟りを開いた、つまり仏教の開祖であるところのお釈迦さま、釈迦牟尼仏を指すとといわれてます。  そこから、「仏説」ということは般若心経はお釈迦さまが説いたお経だと、あるいはそういうことだろうということが推測されます。 ただ、これについては後々、色々な問題が出てきます。これは水子供養をお願いなさる方をはじめ皆さまの頭にとどめておくだけでよいかと思います。

お経とは

 一番最後に「経」とあります。 当然のことだと思ますが般若心経はお経であるということです。 お経はスートラ(sutra)といいます。 これは、本来は糸とかを紐るという意味です。 紙と紙を繋ぎ留めるものなのです。  これが転じて、教えの基本、それから教えの公用、こういうものをスートラ(sutra)というようになったのだといえそうです。 元々、古代インドでは宗教的なあるいは学術的な基本的説、それをまとめた短い文章のことをスートラ(sutra)と呼んだのです。それを仏教も取り入れお釈迦さまの教えとか、諸菩薩、様々な仏教のお坊さん達の教えというものをスートラ(sutra)と、お経と呼ぶようになったのです。  ところで、水子供養をお願いなさる皆さまをはじめ私達日本人に身近な「漢字」のほうのお経の経ですが、この経という漢字も中国では糸という意味があります。 これは糸というのは織物の糸をいいます。 経という字には、経糸(たていと)から派生したという事ですが、道理とか法則ですとか、そういう意味があるのだそうです。  こういったところから、やっぱり学問や宗教のよりどころとなるような基本的な書物の事を経きょう、あるいは経けいと呼ぶようになります。日本では読み方によって少し違います。  例えば、儒教、道教の書物があります。 そうしたものは経典です。 内容は一つ一つ載っていました。  聖賢や聖人とか哲学者の教えをまとめたものを経書といいます。 これに対してこの経書に付随していろんな予言とか、あるいは未来知(未来にこういうことが起こるぞといったこと)を述べた書物というのもつくられました。  例えば、地球儀をみましょう。 地球にあんな線が入っているわけではないけれども書いてあります。 縦を経線、横を緯線といいます。  それと同じことで昔は経書だけが由緒正しいものであって、重要なものだといわれ、ほとんど経書の研究がされてましたが、最近は遺書っていうのが非常にクローズアップされてるらしいです。預言書とか未来知とかっていうことで、結構、眉唾ものだというふうに考えられていたみたいなのですが、実はその中に色んな思想とかあるいは奇跡が起るような事実が含まれているという風なことが言われるようになって、最近はこの遺書研究が盛んに行われているようです。  では、なぜ、わざわざ般若心経がお経だといったのかと再度、確認しましょう。 水子供養をお願いなさる皆さまや私たちは一般にお経というと仏教の聖典、仏教の文献全部をお経だと思っています。 ところが、厳密にいいますと、お経とはその仏さまが直接説いた教えだけなのです。 仏さまの言動をこういうことをおっしゃったというのを直接聞いてまとめたものがお経です。 それがスートラ(sutra)です。  それとはちょっと内容が違う文献も仏教の聖典の中にはある。 ビナヤ(vinaya)があります。 それは、 規則・道徳・生活様相などをまとめたものです。  また、これに対してアビダルマ(abhidharma)というものもあります。 お釈迦さまがその弟子たちの行動を統制するために定められた戒律の注釈、解釈です。 それをまとめたものが六経になるわけです。  そしてお釈迦さまが亡くなられた後にこの教えとか比丘びくについていろんな注釈とか解説、研究した書物が出てまいります。 それを「ボン アビダルマ」というのです。 この経、律、論の3つをそれぞれまとめて3つのかたまりに集めたものを三蔵といいます。  水子の供養をお願いなさる方をはじめ、皆さん方は三蔵と言うと三蔵法師を思いうかべることだと思います。 三蔵法師といえば西遊記なのです。 昔から伝わっている戯曲を物語に連載したものが西遊記なのです。  西遊記に三蔵法師という位の高いお坊さんが登場されて中国からインドにありがたいお経を取りに行くという物語です。 実はあの西遊記に出てくる三蔵法師にはモデルがいます。 その人は中国の唐の時代に実際に単身インドに渡って16年間インドで勉強してきたすごく偉いお坊さんがいるのです。 その方の名は玄奘といいます。  玄奘三蔵という呼び名がついています。 そもそもこの三蔵法師というのはあの、経、律、論、の三蔵にことごとく通じているお坊さんです。 経、律、論、すべてのお経に対して学識を持っているお坊さんのことを中国では敬意を表して三蔵法師と呼んだのです。  鳩摩羅什や、真諦、不空金剛なども多くの経典の漢訳を手がけており、やはり三蔵法師と呼ばれています。 三蔵法師というと、その代表として、まずこの玄奘が出てきます。 けれども、実際にはものすごくたくさんの人が三蔵法師と呼ばれていたのです。  水子供養をお願いなさる皆さまをはじめ私達日本人でも、ただ一人三蔵法師と呼ばれてた人がいるという話があります。 弘法大師と一緒に渡った近江出身の興福寺僧・霊仙というお坊さんです。 実は向こうの皇帝から、三蔵法師の呼び名を頂いたという説があるのですが、事実であるかは今のところ、まだ確認していません。ただ、霊仙が関わった『大乗本生心地観経』は石山寺に現存しているそうです。  ところでこの玄奘という人は、水子供養をお願いなさる皆さまや私たちが読んでるこの般若心経をサンスクリット語から中国語に翻訳した人だといわれています。 般若心経というのは、お釈迦さまが説いたお経なのです。

菩薩の6つの徳目

 「般若波羅蜜多」という言葉が、題についています。 そのことから分かることは般若心経は般若経典類と呼ばれる一文のお経で、種類は大乗経典と呼ばれる一文の中にある般若経典類に分類されるお経の一つだということが推測されるのです。  この「般若波羅蜜多」これクラジ二アパーラミターというインドの言葉を漢字に置きかえただけなのです。 ですから、この漢字自体には意味はありません。 漢字自体に意味がなくて、その言葉ごとに意味があるのです。 クラジニアパーラミーターという言葉に意味はあるけれども一字一字の漢字には意味がないと捉えます。 このようなのを音写といいます。外来語をカタカナ表記するのと似たような感じだと思えば分かりやすいです。 翻訳するときに意識して中国語に直さずにその音だけを取って漢字に置き換えただけということです。  このクラジニアというのは、従来、智慧のことだといわれています。 ただ、水子供養をお願いなさる皆さまや私たちは、智慧というとどうしても、知恵だと思いがちです。 日本では知識という言葉を使うと往々にして「知識が深い」や「勉強ができる」というふうに捉えます。  しかし、ここでいっているのは智慧です。 つまりはクラジニアというのは、悟りの智慧だということなのです。 このクラジニア、智慧に似た言葉がいくつかインドにあります。 1つは「ジュニアーナ」という言葉です。 このジュニアーナというのは実はこれは悟りそのものを指します。 仏様の教えとはジュ二アーナというのです。  それに対して「プラジュ二アー」といのは、このジュ二アーナにプラというのがついた。 プラというのは英語のプレ(pre)に相当するような語意です。 つまり何とかの前とか、何とかに先立つというような意味だといわれています。  悟りを聞く前に悟りに至るまでの菩薩の段階での智慧をプラジュニアーというのだということです。 だからこれは悟った智慧、悟られた智慧、こっちは悟りに至る智慧ということなのです。  それに対して、知識というのはむしろこちらのジュニアーナの方なのです。 これは知識とかあるいは認識です、そういった心の動き、これが「ビジュニア」なのです。 「ビ」というのは物を見るとか何とかそういうふうな語意です。 ものを見る智慧ですから、分析したり判断したりする智慧がビジュニアなのです。  そうでなくプラジュニアーは直感的に真理を見るのです。 自分の中であれこれ判断するのではなく、これは好きだ、これは嫌いだと判断するのはビジュニアなのですけれども、見たものを見たとおり、ああこれはこうなのだという風な見方をするのがプラジュニアーなのだということです。 その後ろにはジュニアーナがあるということです。 悟りがあるとこういう風な見方なのです。  これが分かれば般若心経が少し分かりやすくなると思います。 彼岸へ渡るというのは向こうへ渡すという意味です。 水子供養をお願いなさる皆さまや私たちの住んでいる迷いの世界から、仏さまがいらっしゃる悟りの世界へと渡ることです。  向こう岸へ渡るというところから転じて、目的を達成する、あるいは完成するという意味があるといわれます。 人間が、真実の生命に目覚めたときにあらわれる根源的な叡智であり、それが「智慧」の完成である、ということです。  ところで、2つの訳の分からない言葉を使いました。 訳の分からないということは、まだ解決してないという訳です。 それはやはり大乗仏教というのは曼荼羅ということと、それからもう一つは真言というものがあるということです。 これを分からなければ、大乗仏教の一文である般若経の中に含まれるお経が分からないわけです。  大乗仏教は何なのでしょうか。 それは、お釈迦さまが亡くなってから500年ぐらい経った後に龍樹(ナーガールジュナ)らによって理論付けされたとされています。 そして、水子供養をお願いなさる皆さまや私たちが学んでいる日本の仏教というのは大乗仏教の流れを汲んでいます。 大乗仏教の流れを汲むということは、大乗仏教ではないものもあるということです。  大乗仏教ではない仏教のことを小乗仏教、つまり小さな乗り物という意味があります。 劣った乗り物ということもいえます。 大乗仏教は大きな乗り物、あるいは優れた乗り物ということなのです。  実はこの小乗仏教という呼び方は、大乗仏教の人たちがこういう人たちを貶して呼んだ呼び方ですから、実際小乗仏教の人たちのは自分たちのことを小乗仏教といわないのです。 小乗仏教の人たちは上座部仏教、テーラワーダ仏教、テーラヴァーダ仏教といいます。 今で言うとタイやミャンマーなどの東南アジア、あるいはスリランカなどに伝わりました。 あちらの仏教というのは小乗系仏教、または南の方にも伝わったので南伝仏教ともいわれています。  それに対して大乗仏教というのは、アフガニスタンから中央アジアを経由して、中国、朝鮮、日本、ベトナムに伝わっています。 あるいは中国からチベットにも入ってますが、北の方を回ったので北伝仏教ともいわれています。 またチベットは、チベット人僧侶の布教によって、大乗仏教信仰はモンゴルや南シベリアにまで拡大されていき、チベット仏教となりました。  では、水子供養をお願いなさる皆さまや私達が現在接している大乗仏教と、小乗仏教というのはどのように違うのでしょうか。 小乗仏教、上座部仏教と呼ばれるものは、ある意味お釈迦さまの直接的な後継者のようなものなのです。 ですから、お釈迦さまが亡くなられた後にその教えを学んでいこうとする菩薩の集まりが発達しました。  上座部系の仏教は、時代が経つにつれてお釈迦さまのように多くの人々を導こうという風な姿勢が無くなってきました。 ひたすら阿毘達磨のように僧院に閉じこもって論の研究ばっかり一生懸命やるような仏教になっていきました。 そしてお釈迦さまの慈悲とか、あるいは衆生救済の、そういった思想がだんだん薄れてきてしまった訳です。  しかしながらそれに対してそれではいけないお釈迦さまの根本の教えというのはそんなところにあったのではない、お釈迦さまは多くの人々を救うのだと、その慈悲の心を持って説法をされたのだ、というふうな考え方に立って運動を起こしたのが、この大乗仏教なのです。  そして、この大乗仏教の特色としては、その担い手として菩薩という人々を想定しています。 私たちは菩薩とか言いますけれども、この菩薩という人々がどういうことをしていくのかといいますと、次のようなことがあります。 1つ目には、菩薩は自分自身が悟りを求めるということです。しかし、その自分自身の悟りを得たい、しかしまず、苦しんでいる一切の衆生、ついまり生きとし生けるものすべてを救おうという菩提心を前提に、さらに 2つ目には、菩薩は苦しんでいる人々を救うということです。 この2つを一生懸命行い、そして最終的には、お釈迦さまの様な仏になろうとすることを目的とした、そういう人たちを菩薩と呼びました。  この菩薩が修めなければならない修行として六波羅蜜と呼ばれる修行があります。 波羅蜜というのはパーラミターで、「到彼岸」「完成」という意味です。 それが6つあり、完成させる実践する徳目のことを指します。 六波羅蜜業をやることによって、菩薩は菩薩の自利利他の大行し、涅槃の彼岸にいたることができるのです。  この六波羅蜜というのは名前のごとく6つあります。 菩薩が修めなくてはならないものに、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の6つの徳目があります。  1.布施は、布施・施しをすること。自分の持っている物を多くの人に分かち与えること。 2.持戒は、戒律を保つということ。  3.忍辱は、どんな辱(はずかし)め、悪害を受ける、あるいは困難にぶち当たっても、それに耐えること。  4.精進は、一生懸命努力すること。自分のやるべきことを達成していこうとすること。  5.禅定は、心を静めること。心を常に穏やかな状態に保とうと努力することが玄奘。 6.智慧は、般若つまり智慧を完成させること。   そしてこの般若というのは実は仏教徳目の中の1つであるということだけでなく、他の5つのものを集約したものです。 菩薩が修めるこの全て、布施から禅定までのというのは、この智慧が達成されなければ、到達できません。 この智慧が完成されない限り、この5つも完成されない、ということなのです。

般若心経の歴史

 『般若波羅蜜』というのが六波羅蜜の代表だとみなされています。 そして、この般若波羅蜜について解説しているお経を般若経典類と呼ぶのです。  しかも般若経典は大乗仏教のお経の中で一番分量が多いのです。 非常にたくさんの種類があります。 その中には、大般若経、大般若波羅蜜多経(だいはんにゃはらみったきょう)と呼ばれるお経は全部で600巻あります。 大乗経典の中で一番分量が多いのです。  630年頃に玄奘がインドからそれらの般若経典群を中国へ持ち帰りました。 そして、玄奘自ら翻訳の指揮を取って4年の歳月を掛けて漢訳したと言われています。 その後、663年『大般若波羅蜜多経』が完成したと言われています。  けれども、そういう一番大きなものもあれば、逆に水子供養をお願いなさる方や皆さまが学ぼうとしている『般若心経』という大乗経典の中で一番短いお経もあります。 また、大乗経典の中で一番歴史が古いお経だと言われています。  また、全部の仏教の中で一番新しい部類に入る理趣経(りしゅきょう adhyardhasatika prajnaparamita)があります。 密教系のお経ですが、理趣経というお経も般若経典から般若経系テキストを原流として発達したものだといわれおります。 正式名称は「般若波羅蜜多理趣品(はんにゃはらみたりしゅぼん)」です。  そういうふうに、古いものから新しいものまで、非常に広い範囲を占めているのが般若経といわれています。 なぜかといえば、この六波羅蜜とが菩薩が必ず修めるべき修行だからです。  ですから、六波羅蜜の業徳、その中でも般若波羅蜜の業というのは、大乗仏教の生命線なのです。 それゆえに、般若心経もここに般若波羅蜜多の言葉が出てきています。 つまり般若波羅蜜多についてお経の中で説いているということが言えます。 しかも般若波羅蜜多の文字が出てくるということは、これは般若経典である、ということが分かるわけです。 六波羅蜜について、あるいは般若波羅蜜多について解説したお経である、ということが推測されるということです。  ところが、ここでひとつ問題が生じてきます。 というのも、大乗仏教は釈迦が亡くなった後500年経ってから出てきた集団なのです。 水子供養をお願いなさる方をはじめ皆さまもお気づきのこと思いますが、この大乗仏教の人たちが拠り所としているお経は本当にお釈迦さまが説いたものなのでしょうか。  確かに題名には仏説とついて最後にお経の経で終わっています。 「摩訶般若波羅蜜多」ではないのです。  ということは、お釈迦さま、あるいは仏が説いたものでなければならないいうことになるのですが、実際のところ果たしてどうなのでしょうか。 水子供養をお願いなさる皆さまをはじめ、皆さんはどうお感じになりますか。 ちなみに、この『八千頌般若経』というものがあります。これが大乗仏教初期に編纂され後の仏教発展の基礎となったと考えられているお経です。  サンスクリットに対応する残存する漢訳は『道行般若経』といいます。 これは、大乗仏教の中では一番古いといわれています。 これが成立したのが紀元前後〜紀元一世紀の半ばにかけてだといわれています。 ですから、実際にお釈迦さまの年代と300年から600年も開きがあることがわかります。  ということは、本当に水子供養をお願いなさる皆さまや私達がありがたいと思っている、お釈迦さまのお説きになった教えであるとして、一生懸命読んでいる般若心経は本当はお釈迦さまがといたものではないのか、ということになってきます。 しかし、ありがたいお経には違いないことになります。

般若波羅蜜多という言葉

般若心経  正式には仏説摩訶般若波羅蜜多心経といいます。 略して心経、般若心経です。このお経のまず題名から入っているわけです。  この題名から何が分かるかは、第一に当然ですがここに「経」と書いてあるから、お経であることです。もっとも、この仏説摩訶般若波羅蜜多心経は場合によっては頭の「仏説摩訶」が取れてしまうこともあります。水子供養をお願いなさる皆さまや私たちが今読んでいる「般若波羅蜜多心経」のお経をサンスクリット語から漢語に翻訳した方は玄奘三蔵という名の七世紀の唐のお坊さんです。  「三蔵」というのは唐の皇帝からこの方に授けられた位です。 「三蔵」つまり「三蔵法師」というものは、仏教の全てのお経などをひっくるめての呼び名です。 その仏教の全ての聖典に通じているということで、「三蔵法師」といわれています。 玄奘はその「三蔵法師」の位にいたのです。 この「三蔵」とは、三つの仏教の経典を3種類に分類し、それらをまとめた呼称で、triは「3」、pitaka は「籠」で、3つの籠という意味があります。  では3つの籠はなにでしょうか。  1.経  2.律  3.論   経、律、論で三蔵というのです。  「経」というのはスートラといい、いわゆるお経、つまりお釈迦さまの説法をまとめたものです。 「律」というのは、ビナヤといいまして、これは戒律です。お坊さん方、あるいは修行者また、在家の人もそうですが、それらの出家在家の修行者が守らなければならない様々な条項、規則などをまとめたものが律です。 「論」というのは、アビダルマといい、この経、あるいは律についての研究書、専ら経の研究書です。経の内容について色々と研究したものを後世の人がまとめたものを「論」といいます。この経、律、論三つ合わせて仏教の聖典全てを表わすことがあります。  ところで、般若心経はこの経、律、論の中では経にあたる、つまりお釈迦さまの説法、仏様の説法を内容とするということです。 つまり、そこでこの頭の「仏説」というのが出てきます。 「仏説」とは仏陀が説いたということです。  この仏、あるいは仏陀ですが、仏とは何者かといいますと「それは目覚めた人」つまり「悟りを開いた人」なのです。悟りを開いた人はみな仏陀、仏なのです。ですから水子の供養をお願いなさる皆さまをはじめ、「私」がもし将来悟りを開いたとすれば仏陀になるわけです。  もともと「ム」という字にはそのような語意があるのだそうです。 これは、変わるとか何々「ム」という意味だそうです。 だから、これににんべんがついてる人、つまり人であって人でないという意味と、人間を超えた人間ということで仏といいます。 この仏という字はもともと中国にあったものではなく仏教が入ってきてから「仏」を表わす言葉として作られた字なのです。 だから仏というのは人間だということになるのです。 悟りを開いた人間が仏陀つまり仏になります。 ただ狭い意味では仏陀はお釈迦さまの事を指すのです。  ところで、悟りを開くということや、仏陀というのはどういう方かというと別の言葉で表わすと仏といわれます。 全てを知っている人、この世の真理を全て把握している人、この世の全てを分かっている人、それを一切智者といい、仏陀の別名として使われています。 一切智者とは「サルタージニアヤ」とよばれます。 そして、「一切智」とは仏の智恵、つまり仏陀の悟りのことを言います。 そしてこの一切智者の悟った内容のことを一切智とカルダジニャジニャーナということです。  一切智は悟った人の持ってる智恵のことです。 この智恵を身につける一切智、あるいは一切智を身につけることが出来れば水子供養をお願いなさる皆さまや私たちも悟っているということなのです。 ただ、ここに到るまでの段階があるのです。 この一切智を悟るための智恵というのがサンスクリット語でプラジュニャー、パーリ語でパンニャー、音写で斑若、鉢若、般羅若、鉢羅枳嬢などといいます。 これを漢字にすると「般若」となりますが、般若心経の「般若」というのはこの般若のことを言います。  つまり、この般若、つまりプラジュニャーというのは一切智を、仏教におけるいろいろの修行の結果として得られたさとりの智慧をいい、あるいは一切智のお釈迦さまにいたる智恵なのです。 ですから、悟りを目指す修行者にとっては悟りにいたる智恵とは般若といって、悟ってしまった以上、悟った人の智恵というのは一切智なのです。 こっちは悟った智恵、こっちは悟りにいたる智恵なのです。時間の経過があるということです。  そして、この「般若波羅蜜多」というクラジニアパーラミターという言葉ですが、これはこの般若を完成させ、この悟りに至る智恵を完成すれば、一切智が自分のものになり、悟ることが出来るのです。 この般若にいたるための修行を「般若波羅蜜多」といいます。 そして、般若心経というのはそのように般若波羅蜜多がでてくることは、般若波羅蜜多を内容として説いているお経であろうということ、そして般若波羅蜜多を内容としているということはつまり大乗経典であるということがもう一ついえます。

悟りに至る般若波羅蜜多

 般若波羅蜜多というのは、般若を完成させるための行であることになります。 よって般若は一切智を悟らしむる直感的な智恵ということと、経験を通してよりも深い内容の中に気づくという性格のものであるといわれています。 成仏するための智恵が般若波羅蜜多です。 水子供養をお願いなさる皆さまや私達も成仏してしまえば一切智ということになります。  ところで、「般若」の下についている「波羅蜜多」は、「パーラミター」という言葉が漢字に音を移したもので中国語に訳したが故に渡(ど)とか渡彼岸(とうひがん)といった形で訳されます。  「渡彼岸(とうひがん)」というのは「彼岸に至る」ということです。 彼岸というのは「お彼岸」とか、川を「渡った」向こう側ということになります。 「渡る」という意味がありますが、「ド」という字は「渡る」という字です。 さんずいが無く、「度」でも同じ意味です。 何処に渡るということや、川の対岸は「悟り」を意味します。  悟りの世界を「彼岸」といい、これに対して水子供養をお願いなさる皆さまや私たちがいる世界(迷いの世界)を「此岸」といいます。 この岸に対してかの岸、此岸に対して彼岸、水子供養をお願いなさる皆さまや私たちの迷いの世界に対して仏さまの悟りの世界なのですが物質的な場所を指しているのではありません。 水子の供養をお願いなさる皆さまや私たちの心の中、あるいは智恵の中身、私たちが迷っている心の中身がまだ此岸にとどまっているということで、逆に私たちが悟りを開いて完全に落ち着いた寂静の境地に入れば私たちは完全に彼岸に到ったということで、たとえ肉体的にはなんら変わりがなくとも、その心の中身が完全に悟りに入れば私たちは彼岸に到った、つまり悟ったということになります。  パーラミターはそういう風に悟りに到るということですから、転じて目的を達成するという意味です。 あるいは「完成する」ということですから、「般若波羅蜜多」というのは般若を完成させるための行、つまり悟りに至るための行です。 これを「般若波羅蜜多」と呼ぶということです。  ところで、この「般若波羅蜜多」をしきりに説くお経が沢山ありこれらは大乗経典と呼ばれるお経に多いといわれています。 歴史的に観て、お経を大別すると大乗経典と小乗経典に分ける場合があります。 小乗経典の代表的なものには阿含経があります。 中には阿含経の中に大乗的な思想を説くものも若干ありますが、阿含経と呼ばれるものはほぼ小乗経典の類です。 それに対し、大乗経典には般若経、法華経、阿弥陀経、小満経などがあります。大本山成田山仙台分院は密教寺院ですが、密教の経典であるところの大日経や理趣教などのお経も大乗、小乗に分けるのであれば大乗経典に入ります。  大乗経典と小乗経典の違いですが、まず成立した時期が違います。 大乗経典はお釈迦さまが入滅、涅槃に入られてから約四、五百年たってから成立したものですが、それに対して小乗経典は釈迦がなくなってからすぐに作られたといわれています。 伝承によると、お釈迦さまが亡くなって50日位後には最初の経典の編纂が行われており、そのような資料も残っています。  お釈迦さまの第一の弟子であったマカーハーシャパが50人とも500人とも言われる長老を集めて経典の編纂をしたといわれています。 しかし、後に実際に文字にすると大乗経典とさほど内容に違いはありません。 小乗経典は文字にされる前は専ら口伝で、その時期は、非常に長いものでした。 文章に残り始めたのは紀元前後でした。  紀元前三世紀にはショーカー王がインドに統一王朝(マウリヤ王朝)を作ります。 そのころにようやく文章のお経が出来たといわれてますので、お釈迦さまが亡くなられてから時代がかなり違います。 小乗仏教と大乗仏教の違いについてですが、小乗仏教については前述の通りお釈迦さまが亡くなった後すぐにお釈迦さまがおっしゃったことをまとめたものなので、それをまとめたのはお釈迦さまの直系の弟子ということになります。  ただ、この小乗仏教の人たちは時代が下ると、教義経典だけを大切にし、人々に教えを説いたり人々を救おうという熱意は段々薄れていきました。 お釈迦さまは自分の悟りに安住するのではなく、多くの人を救おうと活動された(だからこそ仏教が現代まで残っているのですが)のとは対照的に、小乗仏教の人たちは人々を救おうという熱意が薄れていったため、それに対して批判的な立場の人々が大乗仏教を始めたのがお釈迦さまの入滅後約500年経った紀元前後といわれています。  そこで大乗仏教の人たちが主張したことは、「お釈迦さまの直弟子だと自ら認じている人々は自分だけの救いしか考えておらず、多くの人たちを救おうという気持ちが無い。そのため、彼らの教えはいわば小さな劣った乗り物であって、劣った教えである」ということです。 そこで、このお釈迦さまの直弟子達のことを蔑んで「小乗仏教」といったそうです。  大乗仏教のほうから小乗仏教といったのであって、もちろん彼らは自分のことを「小乗仏教」と言いません。 大乗仏教のほうは「自分たちは己が救われればいいのではなく、もちろん自分たちが救われることは最も大事なことだけれども、その修行として沢山の人々を導いていくことが我々の務めである。 我々は菩薩であって、人々を救うことが役割である。 我々の教えは沢山の人が乗れる大きな乗り物(それゆえに大乗と呼んだのです)であり、優れた教えである。」という教えです。 彼らは自らのことを菩薩と呼んでいました。

お釈迦さまの本心

 インドの仏教はイスラム教がインドに侵入して14世紀に滅んでしまいました。 各地に伝播していましたが、インド以外のところでしか仏教は残っていないことになります。 そして、大乗仏教は中国、チベット、モンゴル、朝鮮半島、水子供養をお願いなさる皆さまや私達が住む日本、そして、中国からベトナムに伝わっていきます。 また、中央アジアのロシア南部にも一部仏教を奉じている人々がいます。 それに対し、小乗仏教はミャンマー、ビルマ、ラオス、セイロン、スリランカなど東南アジアに伝わっています。 小乗仏教は上座仏教、テーラワーダ仏教、テーラヴァーダ仏教、南伝仏教などとといい、大乗仏教は北伝仏教といいます。  ところで、ここに一つ問題が出てきます。 小乗仏教はお釈迦さまの直説であり、直説を自らの経典として講じているのです。 それに対し、大乗仏教は釈迦が亡くなって500年くらいたってから経典が作られているので、「大乗仏教は釈迦の教えではない」という批判が生じてきます。 これは水子供養をお願いなさる皆さまや私達が住む日本でもありました。  明治以後、ヨーロッパの仏教学が入ってくると「大乗非仏教論」が非常に盛んになり、大乗仏教を奉じる水子の供養をお願いなさる皆様や私達の住む日本の教えはたいしたことが無く、机上の空論であるという議論がかなり頻繁に繰り返されました。 しかし、大乗仏教の人たちが小乗仏教の人たちと同じお経を用いずに自分たちのお経を独自に作った事の根底にはお釈迦さまの本当のお心に帰ろうという気持ちがありました。 本当にお釈迦さまが言いたかったことは神聖心と言う文字の上にはないもっと奥深い所にあるため、文字の表面だけを追っている小乗仏教の解釈はおかしいと大乗仏教の人たちは考えたのです。  そこで、彼らはお釈迦さまの神聖心、つまり、水子供養をお願いなさる皆さまや私達が住んでいるこの世の生きとし生けるもの全ての者たちみんなを救おうという慈悲こそお釈迦さまの本当の考えであり教えであると主張し、これを中心に持ってきたので大乗仏教は小乗仏教とは違うお経を独自に作ったということです。 そして、もう一つの考え方がやはりこの菩薩の発想なのです。  もともと、菩薩とは梵名ボーディ・サットヴァは仏教において、成仏を求める(如来に成ろうとする)修行者のことです。 後に菩薩は、修行中ではあるが、人々と共に歩み、教えに導くということで、庶民の信仰の対象となっていったもので、ボーディ・サットという言葉の略ですが、頭のところだけをとって「菩薩」と読みます。この「ボーディーサットバ(ボーディーサッタともいいます)」とは、お釈迦さまが悟りを開く以前のことを言います。  なので、出家されて修行している段階のお釈迦さま、つまり悟りを開いて仏陀となる以前の釈迦を菩薩(ボーディ・サットヴァ)と呼びました。 そして、お釈迦さまが激しい修行の末に菩薩から仏陀になられました。 同様に、大乗仏教の人たちも「我々も菩薩であり、釈迦と同じように自ら悟りを求めるとともに、周りにいる多くの者たちを救っていく活動をしよう」という誓いの基に活動していき、そういう彼らは自らを「菩薩」と呼んで理想としました。  六波羅蜜(六波羅蜜多)  その菩薩の修行として、六波羅蜜(六波羅蜜多)を説くようになりました。  1.布施 -- 財施・無畏施・法施の行。檀と略す場合もある。  2.持戒 -- 持戒(戒律を保持する)こと。  3.忍辱 -- 苦難に耐え忍ぶこと。  4.精進 -- 身心を精励して六波羅蜜を進修すること。  5.禅定 -- 真理を思惟して散乱の心を定止すること。四禅・四無色定・九次第定・百八三昧など。  そして、これらを統括するのが、  6.智慧 -- 般若です。   そのため、大乗経典は多かれ少なかれこの般若、あるいは六波羅蜜をといています(ただし、小乗経典の中にこれが全く無いわけではありません)。 この布施、持戒、忍辱、精進、禅定、般若の6つをあわせて六波羅蜜を説くのは大乗経典の特色です。 この中で最も大事なのは、般若です。般若が無ければこの六波羅蜜は完成しないし、「前の波羅蜜を完成させなければ般若波羅蜜も完成せず、最終的に悟りに到らない」という表現を使い、しきりに「繰り返し般若波羅蜜を実行せよ」とお経の中に書いてあります。  なので、般若波羅蜜はそういった意味では大乗仏教の生命線です。 般若心象のお経の経題から分かることは、仏の教えであり、「大慈は非仏説である」と言われることはあっても、最終的にはお釈迦さまの考えに帰るという点から来ているため、やはり大乗仏教と言えども般若心経もまた仏説であるということです。

大乗仏教とヨガ

 大乗仏教は「禅定」から発達する「ヨガ」をよくおこないます。 大乗仏教のヨガは古代インド発祥の修行法の1つで、アーサナ(姿勢)、プラーナーヤーマ(呼吸法)のみを重視するヨガ、瞑想による精神統一を重視するものなど様々あります。 ここでいう大乗仏教のヨガは皆さまや私達が一番に想像するスポーツクラブなどでしているものとは少し違います。  大乗仏教のヨガをやってる最中に色々なビジョンつまり自分自身の幻影が目の前に現れてくることがあります。 その中で、場合によってはお釈迦さまが目前に立たれることがあります。 そういったことを通じ、自分の心の奥底で釈迦とつながって、お釈迦さまの声を聞くとそういう過程の繰り返しの中から大乗仏教が出来上がっていった可能性が大変高いと思われます。  というのも、大乗仏教は非常に多様な「三昧」というものを説きます。 瞑想の中で自己と宇宙が完全に一体となる大乗仏教の教示ですが、これが大乗経典には特色として非常に多く出てきます。 そのため、この大乗仏教の「三昧の境地」の中で、お釈迦さまに会って、お釈迦さまの直の説法を聞いた人はたくさんいるでしょう。 「大乗仏教菩薩の中で、そのような人々が自己の体験を下に新しいお経を編纂して出来るのが大乗経典である」ということも出来ます。  そういった意味で、ほとんどの大乗仏教経典の頭にあの〜かくのごとく〜が付いてます。 ところで、この題名を見て、気が付くことは、大乗仏教の「仏説」とは、仏の教えである般若波羅蜜多は前述の通り悟りを完成させるための智恵の経でしょう。 「心経」の「経」はお経のことを意味します。もうひとつわかることは、漢語(中国語)と梵語(インドの言葉)が混合されています。  大乗仏教で仏さまが説いたという意味の「仏説」は中国語であり、「経」も中国語です。 注目すべきことは、「摩訶」と「般若波羅蜜多」は中国語とインドの言葉であるサンスクリット語が混合したものです。 全部漢訳せずに、混合した理由としては、中国の昔からの傾向として中国語と外国語を混合して翻訳してしまうということがあるからです。 皆さまや私達が使う日本語でも「仏」は「ほとけ」と読む場合もありますが、「ぶつ」とも読めるのは「ブッダ」の音をそのまま移してきているだけで、それと同じなのです(もっとも「仏」という漢字は新しく作ったものですが)。  中国でも「摩訶」は「大きい」とか「優れている」などの意味を持つ「マハー」という言葉から来ています。 「般若波羅蜜多」は、般若は悟りを完成させる智恵で「波羅蜜多」はその般若の完成に至る行のことを意味します。 中国語と考えられます。 これは、お経を作った玄奘三蔵が作ったといわれており、それによるとお経を翻訳するときは5つのことに気をつけなければなりません(もっとも、玄奘三蔵本人が言ったかどうかは確かではありませんが)。  1番目が秘密故。 その内容については「音を移すだけで中国語に翻訳してはいけない」とあります。 例えば、「陀羅尼」という言葉は「ダラニ」を移しただけのものです。 この言葉は一般には言葉は知られていますが、内容は秘密なのです。 真言も同様です。  真言はマントラですが、ダラニ、真言マントラとも呼ばれるもので、これらは呪文の一種です。 呪文は、中身を明らかにしてはいけないため、秘密なのです。 そのため、あえて翻訳しません。 翻訳できないのです。  水子供養をお願いなさる皆さまや私達が学ぼうとしている大本山成田山仙台分院のお不動さまの真言は次のとおりです。  •大咒たいしゅ−−ノウマク・サラバタタギャテイビャク・サラバボッケイビャク・サラバタタラタ・センダマカロシャダ・ケンギャキギャキ・サラバビギナン・ウンタラタ・カンマン  •中咒−−ノウマク・サマンダ・バザラダン・センダマカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン  •小咒−−ナウマク・サマンダ・バザラダン・カン  やはり、その真言はあえて翻訳しません。ほかにも、  •光明真言−−オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラマニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン  •釈迦如来−−ノウマク・サンマンダ・ボダナン・バク  •薬師如来−−ノウモ・バギャバテイ・バイセイジャ・クロ・ベイルリヤ・ハラバ・アラジャヤ・タタギャタヤ・アラカテイ・サンミャクサンボダヤ タニヤタ・オン・バイセイゼイ・バイセイゼイ・バイセイジャサンボリギャテイ・ソワカ  などあります。やはり翻訳しません。  般若心経の最後にある「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」にしても、同様です。

般若心経は独立したお経

 2番目が多含故。 翻訳すると「セソン」という弟子から師匠に対する呼びかけの言葉になります。 「世尊」と訳したり、「尊書」と呼ぶこともあります。あるいは神々と訳されることもあります。「バカバットビーター」というのは「聖者の言葉」といいます。仏さまのことを「バカバット」と言うときもありますが、このように、多くの意味があるときは、やはり翻訳しません。  3番目の此方無故。 インドには「エンブジュ(閻浮提にあるという想像上の大森林)」と呼ばれる木があるといわれています。 この「エンブ」は「ジャンブー」という言葉から来ているといわれていますが、この木はインドにはあるかもしれませんが中国にはないため、翻訳のしようがないので翻訳しません。中国にない意味や言葉であるから翻訳しないのです。  4番目の順古故。 既にあった方法にしたがい翻訳しないことで、すでに衆人によりその意味が知られていたものがあります。 たとえば阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)略して阿耨菩提などの語類があります。  5番目の尊重故。 たとえば「般若(プラミジアー)」は、翻訳すると意味を失ってしまいます。 智恵と訳せますが、本来はかなり意味の深い大切な言葉なので、そう訳してしまうと、軽く見られてしまうからです。 般若波前述の通り、大乗仏教の生命線であるため、訳したが故に軽んじられる可能性があるため、あえて翻訳をしません。 この5つのことを「五種不翻」といい、翻訳しないということです。  そのため、般若心経は漢語と梵語が混合しているため、「般若」や「摩訶」などを辞書で引いたところで何も分からないことになります。 残っているのは、「心」という字ですが、この字をどう訳すかによって般若心経の解釈が全く違ってしまうという大変な問題が生じてしまいます。  「マハー」は前述の通り、「大きい」、「多い」、「優れている」という意味ですが、「般若波羅蜜多」は「プラジニアー」と「パーラミター」です。 「プラジニアー」とは悟りにいたる智恵で、「パーラミター」悟りを開くための彼岸に到るという意味です。 「フリダヤ」とは心臓を指します「ニクダンシン」と訳している場合もあります。  例えば英語では、heartを心臓と訳すこともあれば、心と訳すこともあります。 ところが、インドでは「気持ち」を表わすときは「チッタ」という言葉を使います。 逆に、「フリダヤ」は心臓(あるいは、中心、又は核)を意味します。 心臓をつぶせば人間は皆死んでしまうので、心臓は水子供養をお願いなさる皆さまや私達人間の中心といえるのです。また、そこから転じて「真髄」という意味もあります。  本題は、「般若波羅蜜多」というときの「心」は心臓を指すか、真髄を指すかの二つの解釈があります。 まず、真髄と訳す場合、摩訶般若波羅蜜多の真髄を指し、お経の題名に出てきているため、お経の内容のことを言っています。 その真髄とは何を指すかというと、般若波羅蜜多は全ての大乗仏教の生命線であることは前述しましたが、お経とは、大乗経典の真髄であるところの般若波羅蜜多を説くお経であると解釈できます。あるいは、別の解釈として(中国の解釈です)、摩訶般若波羅蜜多は、全600巻もある非常に長いお経である大般若経の要点だけを抜き出して書いたものが般若心経だというのもあります。  これは、専ら水子供養をお願いなさる皆さまや私達が住む日本や中国で用いられる伝統的解釈です。 しかし、これとは違う解釈をするところもあり、そこでは「心」を「心臓」と訳します。 心臓とは、般若波羅蜜多の心臓でもあります。 つまり、最後の「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶」の真言であると解釈するところもあります。 水子供養をお願いなさる皆さまや私達が学んでいる宮城県仙台成田山の宗派は真言宗で解釈はこちらです。  つまり、般若心経は一番最後の「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶」真言部分の一行を説くためのお経であり、お経の要点を抜いたのではなく、それが独立した一つのお経であるという解釈なのです。 そのため、水子供養をお願いなさる皆さまや私達は、般若心経がどういうお経であるか知るためにはこの心が何を意味するかということを気をつけなければならず、それをしないと、解釈の仕方によっては別の意味になってしまうことがあるのです。 実は「心」の一文字は般若心経解読の鍵であり、ここが最も重要なところです。

お経の歴史

 「心」という言葉をどのように訳すかによって内容が大きく変わってしまうということを述べました。 今回は「般若心経はいつ作られたのか」ということが主題です。 また、般若心経は本当に「仏説」であるのかということです。 つまり、本当にお釈迦さまが説いたお経なのかということを述べます。  言うまでも無く、水子供養をお願いなさる皆さまが学び私達が読んでいる般若心経は漢字で書かれております。 つまり、中国語に訳されたお経です。 その原典はインドでたので、元々インドの言葉でかかれたものです。 インドには様々な言葉がありますが、般若心経はその中のサンスクリット語で書かれました。 インドでは経本や哲学書などの公用本はサンスクリット語を使って書くという風潮があります。  ひとえにサンスクリット語といってもその中では色々分かれています。 水子の供養をお願いなさる皆さまや私達がサンスクリット語だと認識しているものを日本では「梵語」といってます。 これは、サンスクリットの一種である梵字(ブラフミ文字)から来ています。 密教の寺院は梵字を様々な場面で書くことが多いのです。 また使うことも多いのです。 (例えば、阿字観あじかんという瞑想法があります。これは平安時代に弘法大師空海によって伝えられた瞑想法です。 梵字の阿字(大日如来を表す梵字)が月の中に現れています。それが蓮華の上に描かれた御軸を見つめながら、姿勢と呼吸を整え瞑想するものです。)  漢訳された般若心経にはサンスクリット語の原典があります。 それが中国にもたらされ、何度も翻訳され、いくつも同じ原典を基にした般若心経が書かれています。 歴史に記録されてるだけでも最低12回、13回は翻訳されたといわれています。 その中で現在も残っているのが7、8種類ほど残っています。  水子の供養をお願いなさる皆さまが学び私達が普段読んでいる般若心経と一致するものはこれらの中には無く、少しずつ違うものなのです。 多少の違いはあるものの、一番近いものは、649年に玄奘が訳したものです。 そこで、私達が普段読んでるものは摩訶般若波羅蜜大明咒經であり、鳩摩羅什という方が402年に訳したと言われているお経を、もう一度訳したものであるという説があります。  もう一つの説としては、玄奘三蔵が翻訳したものの見本だというものがあります。 その玄奘が訳した般若心経を玄奘の弟子である慈恩大師窺基ききがもう一度作り変えたという説です。 また、玄奘が訳したものを誰かが書き間違えて伝わってしまったものが現在の般若心経だという説もあります。  このように、いくつか諸説はあるものの、実際どれが真実かはわかっていません。 例えば、最初に歴史の記録に残っているものは、一行目の「摩訶般若波羅蜜」の部分を、支謙が223年に訳し、それ以降何度も翻訳されているものですが、最初に般若心経が漢字に直されたのが紀元前3世紀です。  インドではいつ出来たのかが問題になるものの、歴史を何でも記録に残す中国人とは対照的に、古代インドではそのような発想が無かったためか、そういった記録はほとんどなく、いつ出来たのかは詳しくはわかっていません。  そのため、中国などインド周辺の国々や、場合によってはヨーロッパの歴史から年代を逆算して、インドでは何があったかを探り、年代を設定します。 この方法で考えると、インドで成立したお経がシルクロードや海を経由して中国にサンスクリット語の原典が到達し、それが漢語に翻訳されるまでおよそ100年かかると推定されるため、3世紀に中国で翻訳されたということはインドでは2世紀には成立したであろうということになります。 ところで、水子供養をお願いなさる皆さまや私達が住む日本は大乗仏教と小乗仏教の中で分けますと、日本は大乗仏教です。  近年の学者達の研究の結果、もっとも古い成立は紀元前後から紀元一世紀の間と言われています。 つまり、この成立から般若心経が出来る前まで約100年しか経っていないのです。 そのため、大乗仏教のお経の中では比較的新しいほうに入ります。  しかし、いずれにせよ、成立は紀元後なのです。 紀元はイエスキリストが生まれた年を0年としますが(実際は3〜7年ずれているとも言われています)、お釈迦さまはそれより500年前に産まれています。 この時代と般若心経の年代にはひどく隔たりがあり、般若心経が2世紀だとすると600〜700年離れているということになり、大乗仏教はお釈迦さまの教えと違うのではという説(大乗非仏説論)もあります。  また、釈迦牟尼仏の年代にも諸説があります。 南伝仏教研の通説では紀元前628年から485年とされています。 水子の供養をお願いなさる皆様や私達が住む日本の仏教学界では中村元博士が継承した紀元前463年から383年とする説が広く支持されています。 いずれにせよ、紀元前1世紀頃と考えられている大乗仏教の後期年代とは300〜500年もの開きがあるということになります。  また、南伝経典(東南アジアの仏教圏に伝わってるお経)に比べて説話や伝説の類が多く含まれています。 更に様々な霊験を伴ったものが、非常に文学的でドラマティックな内容で伝わっています。 そしてそういったお経が多いという特色があるため、歴史的信憑性が阻害されています。 つまり、大乗経典の内容は歴史的事実でなく、お釈迦さまで無く後の人が作ったものでフィクションだという説も出てきました。  たしかに、その点を考慮すればお釈迦さまの直説とは言いがたいとは認めざるを得ない部分もあります。 しかし、南伝経典や、阿含経典のような小乗経典にもお釈迦さまの直説とはいいがたい部分があります。 本当にお釈迦さまの直接の言葉として残されているものは、スッタニパータやケイラパーダーなど比較的古いお経の中の一部分がお釈迦さまの直説と考えられているに過ぎないのです。

密教における優先

 皆さまや私達はお経を大変ありがたいものと思って普段読んでいます。 しかし、こういう説をいろいろ説かれると水子供養をお願いなさる皆さまや私達がお経はお釈迦さまがお説きになった教えだと信じてありがたく奉ってお唱えする事が無意味なのではないかという疑問も生じてしまいます。  次に出てくるのが、大乗経典は菩薩が瞑想中に感得した仏さまの直説だという説です。 お釈迦さまは紀元前5世紀の人で、大乗経典が出来たのは紀元前後であり、500年前後の差が生じてしまいます。 それでは大乗経典は後の人の創作であり、お釈迦さまの説法ではないことになります。  仏教に限らず、インドの宗教は文字をさほど重要視しない傾向にありました。 文字に執着していなかったのです。  それは、文字に残すことは本来してはいけなくて、宗教の教えの一番大切な部分は文字では伝えられず、師匠から弟子に口授されるという傾向が昔からあり、今でもそれは残っています。 そして、その伝統は皆さまや私達が住む日本の仏教にも残っています。  例えば、密教はお経に書かれていることよりも律と呼ばれる解説書に書かれていることのほうが正しいとする考え方(密教における優先)をします。 さらに、解説書に書かれていることよりも自分の師匠の教えが密教においては優先するという傾向があります。 また、禅宗でも同じような優先傾向が見られます。  実際、昔のインドではお釈迦さまの時代からしばらくは文字で書かれたお経は存在しませんでした。 それがはじめて出現したのはそれから約200〜300年後ほど時代が下ってからのことです。 当然その間は師匠から弟子へ口伝のの繰り返しで伝わっていきました。 伝言ゲームのようなものですから、その間に少しずつ違いが生じてきました。  確かに、昔の人々は記憶力がすごかったといいます。 特に東南アジアやチベットのお坊さんはほぼ全てのお経を丸暗記しています。  しかし、それが何世代も続いていくと他宗の教えや一部の師匠の個人的感想や解釈などお経に直接かかれていなかったことが入り込むことが十分ありえます。 そうなっていくうちに段々お釈迦さまの教えと違ってくるということが非常に多いのです。 そのため、今のお経の全てがそのままお釈迦さまのお言葉の通り残っているということは実際はありえません。  それが決して、でたらめではありません。 実際、当時から2500年という大変長い期間が経過しているにもかかわらず仏教は現在も教えを受け継いでいこうとしております。釈迦のお心を後世にお伝えしようという気持ちがあります。 また、それら昔の信徒達の大変な苦心や努力を忘れるべきではなく、それゆえに皆さまや私達が学ぶお経は尊いものといえるのです。  そこで、大乗仏教のお経についてです。 これもまた「大乗菩薩」と呼ばれる人々が志を継ごうとするためにあえて作り出したといわれています。  お釈迦さまについては諸説あります。 29歳のときに出家なされてから6年間苦行なされて35歳のときに悟りを開かれました。 そして、それから45年間インド各地を放浪なされながら教えを説き、弟子を集め、そして80歳のときに命が尽きて入滅されました。 その弟子たちが教えを引き継いでいくのです。 そこから何代も教えを伝えて、引き継いでいくのです。  ところが、その弟子たちは時間が経過するにつれ、段々学問の世界に閉じこもるようになります。 その教えは、宇宙の真理を知ることによって人々を迷いや苦しみから救うことが主な目的であり、単に悟りを開くことだけが目的ならばお釈迦さまが各地を歩き回り説法をする必要はないのです。 お寺にこもって自分だけ悟りを開き、自分の周りに集まって来る人にだけ説いていればいいのではなく、たくさんの人に教えを説いていくのです。つまり、お釈迦さまの考えの根底には「教えを説き、多くの人々を救わなければいけない」という情熱があったのでしょう。  ところが、時代が下るにつれ、そういう気持ちが段々教団の中から薄れていきました。 500年くらい経ってくるとただお寺の中にこもり、難しい哲学的な思想にふけるようなことばかりの僧だけになってきて、周りで実際に苦しんでる人たちに救いの手を差し伸べる気持ちが薄れてきました。  しかし、このような伝統教団のあり方に対して異議を唱える人々が出現します。 彼らは自らを菩薩と呼び、慈悲こそお釈迦さまの神聖心であり、意志であると主張します。 そして、彼らは自分自身は悟りを求めて色んな修行はするが、それだけでなく、また同時に苦しんでいる人に対し救いの手を差し伸べ(衆生救済)、人々に教えを広めていくことを題目に上げていき、密教における優先によって発展を遂げました。

大乗経典

 自らを菩薩と呼び、慈悲こそお釈迦さまの神聖心であり、意志であると主張した人々を中心とした教えを大乗仏教と呼びその経典を大乗経典といいます。 「大乗」とは「大きな乗り物」ともいえますし「乗」とは「教え」を意味します。 それゆえ、「偉大なる教え」ともいえるでしょう。 自分だけが救われるのではなく、多くの衆生をも救っていくのだから偉大な教えだと思ったのでしょう。 それに対して、彼らは自分の悟りしか考えていない劣った教えだとして、既存の教団を小乗仏教だといいました。  つまり、大乗経典とは、大乗仏教の経典であり、大乗仏教運動の人たちが作った経典であり、お釈迦さまが残した言葉を直接残したものではないのです。 むしろ、お釈迦さまの心の中心にあるところをもとに彼らが自分達で作ったお経が大乗経典ということになります。 そうすると、やはり大乗経典は仏説ではないのではないかということになってしまいます。  ところが、大乗経典を作った菩薩と呼ばれる人々はその修行の一環としてヨーガを行っておりました。 ヨーガを重んじてたといわれております。 ヨーガや、瞑想や漢方などの修行に熟達した人は宇宙の真理とつながることが出来るという発想がインドにはあります。  お釈迦さまの悟りが法なのであるから、ヨーガの結果、お釈迦さまの悟りと一体になって知れば、結局その人たちがその瞑想の中で見たことは実はお釈迦さまの教えと同じという可能性は大いにあるのです。 つまり、瞑想によって得られる悟りの境地(三昧の境地)にはいっている人の前に仏が立たれることはよくあることなのです。  その仏が瞑想の中で説かれた教えを文字に書き残したのが大乗経典の可能性も大いにあります。 実際、初期に成立した浄土経典では、瞑想を行うことで阿弥陀如来が現れ、自分と出会うという三昧が書かれています。  そのため、大乗経典の編纂者といわれる「菩薩」は瞑想の中で出会ったお釈迦さまが説いた説法を文字に残したということが言えます。 それが事実であれば大乗経典を編纂した彼らにとって瞑想の中で出会った仏が本当の仏なのです。 その仏がおっしゃったことを文字に残したものであればそれはまぎれもなく般若心経であるかどうかに関わらず、全ての大乗経典はその意味において仏説以外の何物でもないのです。  最後に「心」について解説します。 「心」一文字は大乗経典般若心経解読の鍵です。 摩訶般若波羅蜜多心(マハープラジニアーパーラミッターフリダヤ)の「摩訶」は、大他生の三つの意味があります。 問題は「フリダヤ」で、これは、私達の気持ち(マインド)よりは心臓(ハート)に近いのです。 「ニクランシン」と訳す大乗経典もあります。  また「体の中心」や、「核」と訳すこともあります。 ここでの「核」は、最も大切なものとか、真髄などの意味があります。 実は大乗経典「般若波羅蜜多心経」の題名において「フリダヤ」の意味の解釈によって本文の解釈が全く違うものになってしまうといわれており、大きく分けて二つの解釈に分かれています。  一つ目は「心(フリダヤ)」を「真髄」と訳します。 そのため、大乗経典般若心経は「偉大なる般若波羅蜜多心経」の真髄を説く大乗経典ということになります。 つまり、この解釈とは、他にある何らかの大きなお経の要点を抜き出してまとめたとするのが大乗経典般若心経であるという説です。 特に禅宗はこの解釈を用いることがあります。 その解釈の中には3つの説があります。  1.鳩摩羅什が訳した摩訶般若波羅蜜大明咒經を抜き出してまとめたものであるという説です。  2.般若心経は玄奘が訳した大般若波羅蜜多経から経文の西洋を抜き出してまとめたお経であるという説です。  3.般若心経は一切経であり、全てのお経の中からその真髄を抜き出したという説です。   ただ、第一説と第二説については、1.の摩訶般若波羅蜜大明咒經は、実は2.の大乗経典大般若波羅蜜多経の中に全て含まれています。 大般若〜は玄奘三蔵がインドに行った時期に集大成されたそれまでの般若経を全てひっくるめたものといわれているためです。 従って、1.と2.は同じことなのです。  しかし、皆様や私達が普段読んでいる大乗経典般若心経の中に使われている言葉はその訳者といわれる玄奘三蔵の大般若波羅蜜多経よりも鳩摩羅什の般若波羅蜜多心経のほうが近いのです。 この説に基づけば、般若心経の主題は大乗仏教の根本思想である「空」と、菩薩行の様態である般若波羅蜜の二つを大乗経典で説くことです。 なぜなら、大般若経、摩訶般若波羅蜜経いずれも繰り返し空と般若波羅蜜を大乗経典で説くからです。 その上で、大乗経典般若心経はこの二つのお経を省略し、要点を抜き出したもので、そう考えるならばこれらを説くものだという解釈になるのは当然といえます。  これとは異なる解釈をする見解もあります。 こちらは心を「心臓」と解釈します。 これはマントラや真言を意味します。 そのため、般若波羅蜜多の心臓はお経の一番最後に出てくる「ぎやていぎやていはらぎやていはらそうぎやていぼじそはか」の真言を指すという解釈です。  ところで、皆さまや私達は大乗経典摩訶般若波羅蜜多心経を般若心経、もしくは心経と略してしまいます。 そういう言い方をする文献は中国の唐の時代の前はないため、玄奘が訳した頃までは心経という使い方は文献の中を探しても出てこないのです。  では、どのように訳したかというと、大乗経典般若心経のことを昔は「他心経」と訳していました。 つまり、般若波羅蜜多を「他」の一文字でごまかしていることになります。 「他」と「心」は切り離せないから続いていることになると思われます。 「他心経」で般若波羅蜜多の心、つまり、般若波羅蜜多心で真言を意味すると言う解釈のほうがむしろ自然といえるということです。  まず第一に大般若波羅蜜多心経とは、般若菩薩がでてきます。 大般若経の本尊であり、大般若菩薩、般若波羅蜜菩薩ともいいます。 主に智慧の仏です。 どのような姿をしているかというと、五智のかんむりをかぶり、左手を梵篋(ぼんきょう…お経の入っている箱)をのせた開敷蓮華(かいふれんげ…蓮華の花びらが満開のかたちであること)をとり、右手には三鈷(さんこ)を持っています。 密教の胎蔵界曼荼羅の一部になっている重要な存在です。  ここからなにがわかるかというと大般若菩薩の大真言の悟りを説いたお経であるということです。 次に、この経の真言は大神呪です。 最後の「ぎやていぎやていはらぎやていはらそうぎやていぼじそはか」の真言は大神呪と般若菩薩の悟りの境地を意味します。 それゆえ、これを般若心というのです。 そのため、この解釈のしかたによると「般若心経の主題は般若波羅蜜多とは実に真言である」となります。  そして、その真言とは仏も大般若波羅蜜多菩薩の大神呪であるということです。 もっとも、これは密教特有です。 これは後に実際の経文の中で菩薩が般若波羅蜜多によって悟りを得るとか、全ての仏さまは般若波羅蜜多をよりどころとしたので悟りを開いて仏になった(三世諸)のような表現が出てきます。そこで、般若波羅蜜多とは仏を生む母親のような存在であるため、仏母と呼ばれます。  この心(フリダヤ)は、訳し方によって大乗経典般若心経のテーマ自体が異なってしまうので、昔からどっちが正しいか議論されているのですが、どちらの解釈も成り立ちうるのです。実際は本文を読んで最終的に4つにしたいということでいいでしょう。 そもそも般若心経は非常に短いお経といえ、大乗経典の中では最も短いといわれています。 ところが、そのなかでも短い般若心経と長い般若心経の2種類があります。 大乗経典般若心経はたくさん種類がありますが、現存は6つありその中で長いものと短いものに分かれます。 摩訶般若波羅蜜大明咒經と般若波羅蜜多心経の私達が普段読んでいるものは短い大乗経典般若心経です。  水子供養をお願いなさる皆さまや私達が読んでいくのは短いほうですが、短いほうと長いほうでは構成が若干違い、短いほうは本文しかありません。 膨大な大乗経典般若心経は序文と結文がありますが、したがって、本文の内容はいずれにも大きな違いはありません。 小本の般若心経はその序文と結文が省略されていて、それがこの二つの違いです。  昔から中国のお経は内容的に幾つかの部分に分けて翻訳されるという傾向にありましたが、それは三つの部分に分けて訳されます。 ところが、中にはそのうちの一部分が欠けていることもあります。  まず、序文とは釈迦がいつ何処で誰を相手にお経を説いたかということを述べる部分です。 例えばあるとき釈迦は○○○におられたという書き方がとられています。 そのときお釈迦さまの教えを聞くために集まってきた人が誰であったかということを言うのです。 例えば観音菩薩や文殊菩薩などです。  そして、本文は大乗経典の内容、つまりお経の思想的な内容を展開していくさまを表しています。 大乗経典の中心となる部分です。 そして、最後のツルー文(結文)とは、お釈迦さまが教えを説き終わられ、その教えを聞いた人々は喜びの心にあふれてそのお経を広く周りの人々に広めていくという誓いの言葉を述べる部分です。「ツルー」とは、お経を広めるということです。  つまり、水子供養をお願いなさる皆さまや私達が読んでいる大乗経典般若心経は序文もツルー文もありません。 そのため、本文しかないため、いきなり「観自在菩薩」から始まって真言で終わってしまうというお経です。 ただその訳し方によって後の解釈が違ってくることがあります。

観音様と舎利仏

 般若心経の主要登場人物は3人います。 そして、内容は大きく3つに分けられることを述べました。 主な登場人物の一人はお釈迦さま(シャーキャームニブツ、釈尊、ブッタ)で、二人目は聖観自在菩薩つまり観音菩薩です。 もう一方は舎利子、つまり、お釈迦さまの弟子です。  ところが、もう一つ不審に思われることがあり、それは水子供養をお願いなさる皆さまや私達が読んでいる般若心経には、何処にも「釈迦」という表現は出てこないのです。仏説摩訶般若蜜多心経という題名にもかかわらず、お釈迦さまの名前が全く出てこないのはおかしいということになります。 これについては、般若心経にはいわゆる2種類の系統が存在します。 大本と小本の2種類の系統があり、漢訳にも両系統が存在します。 その答えは大本にあります。  大本系の心経を読むと、このお経の冒頭に、その背景としてお釈迦さまが霊鷲山(りょうじゅせんさん…インドのビハール州のほぼ中央に位置する山で釈迦仏が無量寿経や法華経を説いたとされる山として知られています)で瞑想に入って、深い、三昧の境地にいて実際言葉を発してはいなかったと述べられています。  その「三昧」とは大本系のいくつかの心経に出てきます。 例えば回向三昧やなど、いくつかある般若心経の多くにこういった名前が出てきます。 水子供養をお願いなさる皆さまや私達になじみのある漢字表記では意味は違うように見えても、原典では、ほぼ同じ意味であったと思われます。 また、三昧と「さんまじ」というのは同じ意味です。  三昧とは、深い瞑想の中に入り、その中で一つのビジョンが浮かんでくる状態で、そのときには完全に集中しきっています。 したがって、お釈迦さまは登場していることになります。 しかし、やはりお釈迦さまは一言も言葉を発していません。 そのため、水子供養をお願いなさる皆さまや私達が読む般若心経ではお釈迦さまは言葉を発していないことになります。  つまり、般若心経は観音菩薩と舎利仏が互いに話をしているということになります。 つまり、お釈迦さまが一言もいっていないにもかかわらず「仏説」とついているというのです。 両者とも、瞑想のときにお釈迦さまから発せられる偉人力に感応されてお言葉を発せられています。 そこで、感応された舎利仏は、それでは般若波羅蜜多の行とはどんなものか観音菩薩に聞きます。 これは、お釈迦さまの中で、舎利仏は尊者に対し観世音菩薩に般若波羅蜜多の行について聞くということを支持されていることを意味します。  また、同時に観音菩薩についてもお釈迦さまの力を受けるというかたちで舎利仏に対し般若波羅蜜多という行についても説明せよとお釈迦さまから言われ、それに感応された観世音菩薩はお釈迦さまに代わって般若波羅蜜の内容について舎利物に対し説明しました。 これが水子供養をお願いなさる皆さまや私達が学ぶ般若心経の内容です。  つまり、実際に言葉を発しておられるのは舎利仏と観音菩薩ですが、両者ともお釈迦さまの言葉の代弁をしています。 言い換えると、お釈迦さまが二人の口を借りて言葉を述べられているということであり、実質的には釈迦の言葉であるため、般若心経は「仏説」といえるのです。  しかし、お釈迦さまが瞑想の中で働きかけてもお釈迦さまの心を察することが出来なければこういったことは起こりません。 それで、お釈迦さまは三昧の境地に至った、多くの人の中から感応する力が高い舎利仏を選ばれて、働きかけました。  ところで、舎利仏は小乗仏教の代表です。 観音菩薩は大乗仏教の代表です。 観音菩薩が小乗の舎利仏に対し大乗仏教の教えを説く、つまり、小乗仏教の低い教えから大乗の高い教えに説いている点を挙げ、小乗は劣った教えであるという説明をする解説書もありますが、ここではそういうことではなく、単に舎利仏は高い境地に合ったから選ばれたということです。 そもそも、立場や観点が違うだけであって、小乗を卑下しているということはありません。  もう一方の観自在菩薩(観世音)もまた、光明三味に入ってお釈迦さまと同じ境地に入り、舎利仏に説法を行うことになります。 あたかも三者三様別々の三昧に入っていると思われがちですが三人とも同じ三昧(甚深光明三昧)に入っています。 そこでは確かに我々からは別々に三人の姿が現れているように見えますが、実際は深い三昧の境地ではそれぞれが一体化しています。 そして、その状態で周りにいる人々に般若波羅蜜多を説いているという形式なのです。  般若心経では、このあと般若心経を説き終わったあと、お釈迦さまが三昧の境地から出られます。 そして、「観世音菩薩よ、よく説いた。お前が言ったことはまことに正しいことである。良いかな、良いかな」 と述べられて般若心経が終わります。  そのため、大乗の経典ではそういう説き方をしているものが多いです。 観音菩薩が釈迦の瞑想の力に感化され舎利仏に対し、お釈迦さまに般若波羅蜜多について説けといわれ、応じたことで仏になり、最後はお釈迦さまに肯定されるという形で大乗経典を権威付けるという形で締めます。  次は、般若心経の内容の形式についてです。 それは、内容から大きく分けて三つの段に分けられます。 一つ目は「諸法の空相」ということで、存在するもの全てが本質としては実体を持たない「空」であるということを述べている段です。 それは、「観自在菩薩〜無智亦無得」までの部分です。 二つ目の段は、般若波羅蜜多が何であるか説いている段です。 これは「以無所得故〜般若波羅蜜多呪」まで続きます。 最後の残りの部分が般若波羅蜜多大真言であり、この三つに分けられます。 ただし、諸説があります。

般若波羅蜜多について

 般若心経の区分は更に細分化できます。 まず、第一段は更に4つに分けられます。 第二段は更に3つに分けられるため、般若心経は8つに分けることが出来るのです。  まず、第一段目は観自在菩薩の照見について、「観自在菩薩〜度一切苦厄」までの部分で述べられています。 第二段目は五蘊皆空について「舎利子色不〜亦復如是」の部分においてとかれています。 三番目は諸法空相について説いている段で、「舎利子是諸法〜不増不減」と短いです。 四段目は空観による諸法の無化についてで、「是故空中〜無智亦無得」までです。  次の般若波羅蜜多を説く段については、第一に(5段目)究竟涅槃について説く段で、「菩提薩〜究竟涅槃」で、次の阿辱多羅三みゃく三菩提を説いているところ(6段目)は、「三世諸仏依〜三菩提」で、般若波羅蜜多は○であることを説いているの(7段目)が「故知般若波羅〜般若波羅蜜多呪」で、最後が般若蜜多大心真言で、「即説〜そわか」です(8段目)。  ところで、「以無所得故」についてですが、水子供養をお願いなさる皆さまや私達が読んでる漢文の解説書はどれを見ても第一弾に入るとしていますが、梵語の原典を読むと、是は第二段の冒頭部分につかないとおかしいことになります。これについては後述します。  次に、水子供養をお願いなさる皆さまや私達が学ぶ般若心経の内容に入ります。 まず、諸法空相を説く段の観自在の照見についての段(1段目)ですが、「観自在菩薩〜度一切苦厄」を読み下すと、観自在菩薩が般若波羅蜜多を行じたる時、五蘊は皆、空なりと照見して一切の苦厄を度したまうということになります。いくつか意味が分からないと思われる単語があるため、以下で解説します。  ボーディーサットバ、ボダイサッタという言葉を玄奘が訳したものです。 菩提という言葉はボーディーから来ており、悟りを意味します。 「サットバ」とは、「心あるもの」と訳されることがあり、「師」と訳す経典もあります。 お経によっては、「ボダイサッタ」の下に「マカサッタ」とつくものもあります。 なので、「ボサツマカサツ」という表現を使うこともあれば、「摩訶」は大きいという意味なので大きな師の意味で、「菩薩大師」という言葉を使うこともあります。  自ら悟りを求めるとともに周りのすべての人々に対して救いの手を差し伸べたり、悟りへ導いていこうという誓いのもとに成仏のための修行をしている人々に対する呼称です。これは、元々は悟りを求める人という意味で、仏さまになる前のお釈迦さま(シッダールタと呼ばれていた頃)を指した言葉でしたが、後に意味が広がっり、お釈迦さまを理想とし、悟りを開くために修行する人々が自称したものです。  自ら悟ることや、それとともに他人を悟らしむること、あるいは自らを律するとともに他をも律するということ、自利と他利両方を治めることが菩薩の成すべきことだという意味です。  次に、「観自在」についてです。 そういう名前の菩薩様が出てくると言うことで、原典には「アールヤアブロッティシバラ」と書かれています。 「アールヤ」とは「聖なる」と言う意味で、「アブロッタ」とは、「観察する」と言う意味です。 「イーシハラ」とは、「自在」で、「自由自在」を意味します。 そのため、「聖観自在」となるのです。 それに「ボダイサッタ」がつくと、「聖観自在菩薩」となり、聖なる者や、自由自在に見ることが出来る人と言う意味になります。  ところで、そうはいっても何を観ているのかが問題となります。 周りにいる人々の有様を自在に見ておられるといわれています。 そのため、水子供養をお願いなさる皆さまや私達、一人一人の苦しみに応じてすぐ様に救いの手を差し伸べてくださると伝えられています。 また、他には「観世音」と意訳するものもあります。 なので、観自在菩薩とは観音菩薩のことだと思ってもよいでしょう。  原典には「アブロキテーシバラ」とあるので、「観自在」としか訳すことが出来ないのですが、別の原典ではこれを「アブロキターシバラ」とかいているものもあり、それを訳すと「観音」になります。それを「観世音」と訳したのは法華経などを訳した(鳩摩羅什訳、5世紀)です。後者は自分で書いているお経の中に観音さまが出てくるところは全部観世音と訳しています。 この表現についてですが、音と言うのは聞くものであって、観るものではないから、本来この表現は変なのです。 しかし、ここでの「観」は、観察すると言う意味なので、何も目で見ているだけではなく、五感をフルに活用しています。 そして、それをフルに発揮して人々を救って行こうとしました。  「世音」とは、水子供養をお願いなさる皆さまや私達、人々の苦しみの声です。 世の人々の苦しみ声を自在に感じてそれに対して救いの手を差し伸べました。 そのような菩薩だから観音菩薩と呼ばれたのです。 ただ、一般的(特に密教系)には「観自在」と呼ばれています。  先にすすみますが、「般若波羅蜜多」は「智恵の完成」と訳されることが出来ます。 ここに出てくる「般若波羅蜜多」は密教的解釈からすれば念誦法であり、念誦法の念書がクラミジアパーラミターということです。 また、「般若波羅蜜多」の頭に「深」がついていますが、これをつけることにより、「深遠なる」と言う意味になります。

心と肉体は一緒

 次に、その上には「行」があります。 原典では「チャルマーナチャルヤーニ」と書いており、「行行」のように重なっています。 つまり、「行を行じる」のようになります。 なので、「般若波羅蜜多の行を行じたる時」と言うのが本来の意味なので、理論的には「般若波羅蜜多行」となってないとおかしいです。 しかし、水子供養をお願いなさる皆さまや私達になじみのある漢訳では省略されて頭にしかついていません。 したがって、これは「般若波羅蜜多の行の名前である」と解釈するほうがしっくりきます。  これは、六波羅蜜のことだと解釈するとおかしなことになります。 確かに、般若心経は大般若経の要点をまとめたものだと考えれば六波羅蜜であると言う解釈も成り立ちます。 しかし、般若心経の目的は最後のギャーテーギャーテーの真言を解説することであると言う観点からすれば、六波羅蜜だと解釈すると、意味が通らなくなりますし、六波羅蜜自体般若心経の中では説かれていませんので、この解釈は成立しえません。  次は「照見五蘊皆空」で、読み下すと「五蘊は皆空なりと照見する」となります。 「照見」とは、観音菩薩の「観」と同じ意味で、「観察する」と言う意味になります。 ただ、ここでは高いところから低いところを見渡す(俯瞰する)と言う意味になります。 なので、観音菩薩は水子供養をお願いなさる皆さまや私達と同じ視点に立って見ておられるのではなく、私達よりも高いレベルから物を見ておられると言うことになります。 これは、観音菩薩はお釈迦さまと同じ三昧の境地に入っておられると言うことを意味します。 三昧の境地とは、水子供養をお願いなさる皆さまや私達の一般の普段の生活レベルより高いレベルにあるものです。 そのレベルに至るまでの方法がお経の中に出てくるわけです。  「五蘊」についてですが、これは「パンシャスパンダ」を訳したものです。 「蘊」を「集まり」と訳すことも多いですが、「スパンダ」は「要素」と訳します。 なので、「五蘊」は「5つの要素」と言う意味になります。 そこで、その「5つの要素」とは何か検討する必要があります。 これにはいくつかの説があり、これは宇宙全体という意味に取る説と、自分自身だと解釈する説があります。 また、これらを混合して自分自身も含めた宇宙全体という説もあります。 ただ、仏教本来のあり方としては、時代原点は自分自身であり、自分と切り離して周りの世界は存在しないと考えるため、五蘊とは自分自身であると考えたほうが分かりやすいでしょう。  「照見五蘊皆空」は原典ではまず「五蘊あり」と出てきて、その上でそれは皆空であると照見されると書いてあるため、二つの段階に分かれます。 だから、「自分自身というものを観音菩薩が観察されたら私と言うのは実は5つのものの集まりに過ぎなかった」と訳しています。 そして、5つの塊に過ぎない自分自身の本質は空であったとおっしゃられていると言うわけです。 その5つの要素とは、色、受、想、行、識です。  「色」とは、形あるもの、あるいは変化するものや壊れたりするものと言うことです。 これは、私達の肉体を意味していると言われています。 それに対し、受、想、行、識の4つは感情や精神と言った心の部分を指すと言われます。 心と肉体は別々に考える立場と一緒だと考える立場がありますが、仏教では心と肉体は一緒だと考えます。 この立場だと霊や魂などの議論は成立しなくなるため、お釈迦さまはそういったことや死後の世界については一切口をつぐんでいます。 ただ、お坊さんにはそれとは反対の意見を持つ人もいますが、それは仏教の立場とは異なるのです。  受、想、行、識のそれぞれの内容についてみていくことにします。 まずは「受」ですが、これは感覚と言う意味だと思っていいでしょう。 これは眼、耳、鼻、舌、身のいわゆる五感と心でそれらを取りまとめる意識と言ういわゆる第六感をひっくるめたものです。 つまり、外にある肉体が色々なものに触れたり触ったり見たり聞いたりするものを心で受け止める段階が「受」だといえます。  次は「想」ですが、これは、そのようにして外から入ってきた刺激を一旦受け止め他物についてとっさに反応する意識のことです。 「行」は、「サンスカーラ」の訳で、「観自在菩薩行」の方の「行」とは違う意味です。  翻訳した結果、同じ漢字を使っていても違う意味になることは多々あります。 その意味は、何かを作り出す力、あるいは滅ぼす力を意味します。  まとめると、水子供養をお願いなさる皆さまや私達が肉体で感じたものを「受」で受け止めていくことになります。 そして、「想」で認識します。 それから「行」によって作り出されたものが心の中に蓄えられていきます。 そうして蓄えられたものが次の行動の発端になっていきます。  さらに水子の供養をお願いなさる皆さまや私達は一旦受け止めたものを頭の中で分析し、それを記憶したり忘れ去ったりしていきますし、その記憶を元に次に同じような状況が起こった際その記憶を元に判断していきます。 これは、いわば認識の作用、あるいは分析の作用であり、わかるとか、知るなどの作用は「識」を指しています。  最も分かりづらいのは「空」です。 これは、インド人特有の思想であり、水子供養をお願いなさる皆さまや私達日本人には理解し難いでしょう。 そして、やはり一般的にも難しいと言われています。 これは、名詞だと思われがちですが、実際は形容詞で、「空相」と言う使われ方がされます。 これは、存在はするがその本質となるような実体的な物は認めないということです。 「無」といっても差し支えありません。  また、これは数字の0と言う概念に近いと言う言い方も出来ます。 0の周りには1,2,3と、−1、−2、−3とあるため、私達の感覚からすれば何もないということなのです。 しかし、全くなにもないわけではありません。 なぜなら、0がそうであれば1のすぐ下は−1になるはずですが、それでは数学的発想は成り立ちません。  「空」とはまさにこの0に近いのです。 (ちなみに、0と言う数字を発見したのもインド人です。) だから、実体のないものがあるという発想になります。 移り変わるものは実体があっては困るからです。 もし実体があったら宇宙全体は固まったまま動かないと言う事態になってしまいますが、実際は私達は動き回っています。 こういうことが起こると言うことは本質としては実体を持たないからだと言うのがインド人の考えです。 ただ、これではピンとこないことが多いため、「空」の意味が分かるためには般若心経の「行」を行って、その見る位置を日常の意識のレベルから脱却しないといけません。なぜなら、日常レベルでは「空」は絶対に理解できないからです。  これに関連してですが、般若心経を説いている観音菩薩とはすべての人々をそれぞれの悩みや苦しみに応じて平等に救いの手を差し伸べてくださる仏ですが、これは、普通の人々と同じ意識下では決して出来るものではなく、一つ上の立場にいるからこそ出来ることであると言えます。  次は、「度一切苦厄」です。 この言葉は漢訳にはあります。 原典にはありません。  これは何処から来たかというと、後ろのほうの「般若波羅蜜多是〜是無等等呪」の直後にある「能除一切苦真実不虚」のフレーズが重複して前のほうに持ってこられたものと思われます。おそらく、鳩摩羅什三蔵または玄奘三蔵が翻訳したときにあえてこの言葉をおいたと言うことでしょう。  まずは「度」について解説します。 これは、さんずいをつけると「渡」になり、「すくいとる」と言う意味になり、般若波羅蜜多を向こう岸に渡すと言う意味に解釈することが出来ます。原典を基に考えると、この場所に出てくるのは不自然ですが、漢訳では逆にこの言葉が出てくることによりありがたいお経になっているのは確かです。  今回はここで終わりますが、大事なことを一点挙げておきます。 般若心経は「空」と言う言葉の意味が良く分かっていないと理解できませんが、般若心経にとって最も大事なことはその点でなく、般若波羅蜜多の行について説くことであり、それが本来の意味です。「空」とは言っても分からないことを前提に、「空」を理解させるために般若波羅蜜多の行をしなければならないのです。 般若心経はギャーテーギャーテーの真言を唱えることが「行」であると説いているのです。

観世音

 水子供養をお願いなさる皆さまや私たちが学ぶ般若心経の登場人物のことを述べました。 水子供養をお願いなさる皆さまや私たちが学ぶ般若心経の内容形式についてです。 一番最初の部分「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空度一切苦厄」とそこの所まで、述べました。 そこの部分をもう一度反復していきます。  サンスクリット語の原点と漢文の部分と、若干、食い違いがあるのです。 その所が、実は般若心経の解釈を分かりづらくしている原因となっていて、そこをふまえて説明します。 まず原文の方に書いてあります。 水子供養をお願いなさる皆さまや私たちになじみのある漢文の方です。  「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空度一切苦厄」 「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多」を行している時、五蘊はみな空となり照見して一切の苦厄をごしたまう。 この部分に相当するサンスクリット語の原点、ナマサルゴジュリアーナというのは呼び掛けの句として頭に必ず付くのです。 これはどちらかというと、題名の方に似た様なものだと思います。 それでこの部分は水子供養をお願いなさる皆さまや私たちがわかりやすいように日本語に訳しますと「ナマサルバジュンアーナ」というのは、南無一切一切智者全智覚者たる悟れる人、ということです。 つまり仏様に礼し奉りますという呼び掛けです。  「聖なる観自在菩薩は深遠なる般若波羅蜜多という寒行を実践されたとき、五つの構成要素(五蘊のこと)は、みんな空であると観察されすべての苦悩から解放された。」  「パンチャスタンダパムシュキャシュパバーバシューニアパシュアキャーシマ」 ですから、自己の存在というのは五つの構成要素から成り立っていると観察されられた。 そしてそれらはいずれも事象を欠如している、固定的な独自性を持たないということを見抜かれた、とその様に訳すことが出来るということだそうです。  そう言っても分からないと思いますので、それぞれ言葉ごとに分解していきます。 一行目の文「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時」は観自在菩薩行深般若波羅蜜多を行せじ時、行ぜられたし時と言ってもいいです。 まず観自在菩薩という言葉ですが、観自在菩薩と観音菩薩は同じ物、同体意業だと一般には考えられています。 これが通説になっています。  ただ観自在と観世音は元になる言葉が違うらしいというふうにいわれています。 般若心経の方では「アーリアバロキティーシュバイン」です。 「アーリアバロキティシュバインボーディーサットバ」と書いていますから、観自在としか訳せないのです。  けれども、一番古い鳩摩羅什三蔵が訳した般若心経には観自在菩薩ではなく観世音菩薩というふうに載っています。 それから後、観世音菩薩という言葉になると皆さま方がよく聞くのは観音経だと思います。 観音経には観世音菩薩と書いてあります。  なぜこのような違いが出てくるのかといいますと、元になっている言葉が、似ているけれども少し違うということらしいのです。 観自在というのは「アボロキテーシュバラ」「アバロキタ」という言葉と「イーシュバラ」という言葉が合成されたものだといわれています。 「アバロキタ」というのは見るとか注視する観察するという意味です。  それに対して「イーシュバラ」というのは何とかの所有者あるいは支配者と観自在者、それから「イーシュバラ」とはシヴァ神の別名なのです。 インドにはシヴァ神、ヴィシュヌ神、ブラフマー神という三大神がある訳なのですが、その中で宇宙の破壊と創造を司るシヴァ神の別名が「イーシュバラ」です。自在天というのはシヴァ神の事なのです。 あるいはこれには何とかをしえるとは何かをする能力があるという意味にもとれるということです。 ですから「アボロキテーシュバラ」というのは自在に観察することが出来る人というような意味になります。  観世音というのは「アボロキテーシュバラ」という言葉から来ているのではないかといわれています。 実際に聖域、中央アジアで見つかった古い法華経の写本があるのです。 それには「アボロキテーシュバラ」ではなく、観世音の方の「アボロキテースバラ」とのっていたことが研究の結果分かったのです。  やはり法華経の場合は、もともと観自在ではなくて観世音と訳すのが正しいのではないかといわれています。 観世音経というには法華経の一部分ですから。 観世音というのは「アボロキテースバラ」「アボロキテ」と「スバラ」という言葉の合成です。 「アボロキテ」というのはさきほど言ったように観ること観察するということなのですが、この中の「アバ」という言葉を「アバティ」という助けるという意味の動詞にとって、その次の「ロウカ」「ロウキタ」の「ロウキ」の部分を「ロウカ」を世界という意味にとると「アボロキタ」に「クゼ」という意味が含まれるとこじつけですが出来ないことはないです。  それで観世という言葉が出てきていると言われています。 それで「スバラ」という言葉は音とか響あるいは騒音とか声とかいう意味になります。 ですから観世音「アボロキテースバラ」というのは水子供養をお願いなさる皆さまや私たちを含む世の人々の声を自在に感じて救ってくださる仏さまという意味なのです。

菩薩とは

 観世音菩薩というと水子供養をお願いなさる皆さまや私たちの救済者、苦しみに応じて救いの手を差し伸べてくれる仏といわれています。 そうしたイメージは観世音という言葉からきているのです。 それに対して観自在という言葉にると自在に観るということになります。 自在に何を観るかが問題となる訳ですが、これについては後述します。 菩薩、「ボーディーサットバ」という言葉「ボーディー」というのは悟りです。 「サットバ」というのは生き物、水子供養をお願いなさる皆さまや私たち同様、生きとし生けるものという意味があります。  般若心経の成り立ちからきていて、いわゆる小乗仏教に対する批判から登場してきた仏教の改革者たちを菩薩と呼んだのです。 その特徴は自分自身の悟りを目指すと同時にすべての人々を悟らせよう、救おうという方向を目的に修行することです。  自利、利他、円満、あるいは自覚覚行、覚行円満という言葉も前述しました。 自利、自覚というのはみずから悟り、自ら利することです。 あるいは利他、覚他ということによって自分だけが救われるのではなく他の人々も救うことです。  このことを円満に発生することによって菩薩は悟りを見出すことが出来るのです。 観音というのはその意味では菩薩です。 ある意味では観音という大菩薩といわれる人々はすでにお釈迦さまのようなブッタ、如来の位です。多陀阿迦陀といわれる如来の位に入ってもよいのです。 それだけの大きな徳を積まれているのです。  にもかかわらず、まだ苦しんでいる人が残っているからあえて悟りに入らず、苦しんでいる人々を救おうとしておられるのだという説があります。 観音さまというのは、守護神といいますか大地の精霊が仏教に取り入れられて仏になったものといわれております。  文殊菩薩は「智慧を司る」仏です。 普賢菩薩は「普く賢い者」の意味があり、修行者を守護することが大きな役割で、修行、教団を象徴する仏という意味になります。 ただ救済者としての観自在菩薩、観世音菩薩はどこから仏教の中に取り入れられたものかということは明確に分かっていません。  ただ名前の中にイーシュバラ、シヴァ神というイメージが出来るということからヒンズー教、バラモン教の方で信仰されていたシヴァ神あるいは自在天といいますとヴィシュヌ神のことも自在者と呼ぶことがありますからそのシヴァ神やヴィシュヌ神に対する信仰が仏教に取り入れられて救済者としての観世音菩薩という選択を形成していったという説もあります。  観音菩薩の住所は、降り立つとされる山である補陀落山(ほだらくせん)の補陀落浄土(ほだらくじょうど)だといわれてます。 これが南インドの突端にあるとされていますが、実際に観世音菩薩の信仰が始まったのは南インドではなくて西北インドともいわれています。 この辺に補陀落山という山があり、観音さまの霊場として知られていますが、観音信仰というのはこの辺で始まったのではなく、むしろこの辺で始まっているということなのです。  ガンジス川の河口あたり、インドの西北地方で始まってるということなのです。  ただこの菩薩としての観音のイメージというのはどことなく、イエスキリストに通ずる所があるような気がするのです。 観音経と原始キリスト教の間になんらかの関係が有るのではないかという説も言われていますが観音経ではなく法華経です。 実際にアレキサンダー大王がインドに侵入して以来、ギリシャ哲学とインド哲学とは交流をしていたというのも歴史に残っていますし、あるいはシルクロードを通じて中国とインドだけでなく、インドとヨーロッパの間でも何らかの交流があったのです。  その交流の中でインドの思想がヨーロッパに流れた部分もあったでしょう。 あるいはヨーロッの思想がインドに入ってきている部分もあったようです。 丁度、大乗仏教が起こった時期とは紀元前後なのです。 紀元前としているのです。  実際にはキリストが7歳位の時だと歴史のずれがあるらしいのです。 ですからキリストの説いた宗教というのが仏教に対して影響を与えていると言う人もヨーロッパの学者にいます。 逆に慈悲を中心とする仏教の思想がヨーロッパの方に流れ込む事によって、戒律重視のユダヤ教を否定してイエスが登場したのだと見る方もいるのです。 どちらが正しいとは言い切れません。  実際にその時代に行って見ない事には何とも言えないのです。 そういう互いの交流の中からそういうものが出てくるのです。 そうしてくると、どうしても観世音菩薩という方の背後にキリストを感じるのか、それともキリストの背後に観音を感じるのか、どちらかなのかというのはあります。 私は仏教徒ですので、キリストの後に観音の姿を感じます。 そういった交流というのは、もしかしたらあったのかとも思います。 そのように考えていけば、ますます面白いです。

六波羅密と五蘊ごうん

 深般若波羅密多行。 行が前ではなく後についてます。これは後述します。 「深」というのは「深い」ということです。 ダンディーラという言葉から来ています。 これは甚だ深いとかいう風に訳すことができます。  「無上甚深微妙の方」甚深なのです。 この意味として、底の知られざるとか計り難いという風な意味が、このガンディーラという言葉にあるということを注目していただきたいです。深いというとどうしても私たち底が見える深さという感覚がなんとなくあるのです。  水子供養をお願いなさる皆さまや私たち衆生レベルのものの考え方よりも深い、という見方をしてしまいますが、ここでいう深いダンディーラは、完全な深さという仏の知恵なのです。 水子供養をお願いなさる皆さまや私たちの一般の感覚ではちょっと計り知れないぐらい深いものだという風な意味があるということです。 ですから無尽蔵という意味もあります。不可思議という意味もあります。  同時に壮言なるとか聡明なるとか途切れざるとか、そういう意味もあるのです。 ですから、そういう意味あいを含めて深いという深さを計って頂くとよいと思います。  次に般若波羅密多パーギニアパーラミッタです。 これはもう知恵の感性だと前々から申し上げています。 一般に、般若波羅密多と言いますと菩薩の修行と六波羅密です。 布施、持戒、忍辱、精進、禅定、知恵とその六つの徳目の完成を目指す修行の項目というわけです。 ただ般若心経で出てくる最初の深般若波羅密多というのはどうも六波羅密の一つとしての般若波羅密ではないのではないか、別の意味があるのではないかという説があります。  特に、水子供養をお願いなさる皆さまや私たちが学ぶ成田山の真言宗はむしろ弘法大師以来こちらの方を重視するのです。 この般若波羅密多は実は六波羅密の代表としての般若波羅密をいっているのではないのですよと、そのような解釈をする訳です。 それはどうしてかというと、その次の行に注目するからです。  漢本の方には行深般若波羅密多時というようになっていますが、これが原典では行に当たる言葉が二回繰り返して出てくるのです。 これがつまりチャリヤーン チャラマーマというのです。 これは直訳すると行を行じているまさにその時という訳になります。 ですから最初のチャリヤーンというのはパーギニアパーラミッタにかかってくるのです。 般若波羅密多の行というようになる訳です。  だから、若干この六波羅密の一つとするのと意味が違ってくるのではないかという解釈がここから出てくるのです。 チャリヤーというのは徘徊するという意味がありますが、ここではなんなんの追行とか実行、あるいは何とかに従事することという風な意味になると思います。 このチャリヤーというのは深般若波羅密多を指している行法とか漢法あるいは念誦法という意味としてとらえることが出来るということです。  次のチャラマーナというのは動くという意味のチャリティという所から、チャラティーからきているんです。 これが動くとか行くとか、ありとあらわる動作です。 水子供養をお願いなさる皆さまや私たちの動作とか行為というのを表す動詞なんです。 これが行ずるとか訳される。 だから実際、行うという意味になると思います。 ですから行を行じてる時です。 底の知れないくらい深い。  水子供養をお願いなさる皆さまや私たち凡人といいますか、一般の世間の知恵では計り知れないぐらい深い般若波羅密多という行を観音が行っておられた、まさにその時、観察されたということが後に出て来ているのです。 五蘊は皆空となり照見し、照見五蘊皆空です。 まず照見は実は一回しか出てきません。 ところが照見に相当する言葉が原文では二回登場するのです。 これがこの梵字四行になっておりますが、三行目に出てくるバドラダラティという言葉と四行目に出てくるパシュアティという言葉は両方とも観察するという意味を持っています。  ですからこれが2回出てくると照見の内容がそれぞれ異なっているのです。 ところが訳では五蘊皆空という一言だけで済まされているので、般若心経の意図するところが実際には伝わりづらくなっているのです。 これが何を意味するかは、またのちほど述べます。 ドュラロパーティーという言葉には注視するとは見つめるとか看取するとか、そういう意味があります。 これは高い所から見下ろすというふうなニュアンスがあるのだそうです。 一方のパシュアティーという言葉は見るとかながめるとか観察するとかいう意味があります。  一、二、三、四行目のなんとかのかんたらであると見るとあります。 その後に見なすとか考察する、行するあとに診断でみるということです。 あるいは一番最後の行に発見するという意味もあるのです。 心の目で心理を見抜くとかあるいは発見するとかというようなニュアンスの方がむしろ強いようです。 ですから観音は2つのことを観察されているということです。 五蘊皆空という漢文ですと一言で済まされていますけど、実は2つの事をここで言わんとしているのです。 それがその次の所に出て来ます。  五蘊パンチャスタンダ、ここだけで五蘊ありと言うふうに訳することが出来るのです。 観音はまず、五蘊あるという事を観察せられているのですね。 スタンダというのは集りというふうに一般には訳しています。 何の事かといいますと、全体を構成する部分なのです。基本的には部分をスタンダと言います。  その中に五つの要素が集っているとします。 これで全体を構成しているのですが、その中の一つ、これがスタンダという部分です。  集まりを訳すとなんだか分からないです。 ただ、一般には五蘊パンチャスタンダというのは、五つの集まりだというふうに訳した方が通りは良いのかと思います。 全体を構成する基本的な部分というふうな部門、そのように訳した方が正しいです。

空と無

 五蘊というのは、色、受、想、行、識という五つの事を表します。 これは自己の経験の総体を構成する五所の主要素です。 つまり、水子供養をお願いなさる皆さまや私という存在は、実は、色、受、想、行、識の五つの部分から成り立っているということです。  自己存在、私という存在は五蘊から成っているということなのです。 自己の存在というものは・・・・・からなる・・・観音さまはこれを見抜かれた、観察された、ということなのです。  自分という存在が絶対ここに存在するものだと思っています。 私は私、他の人とは違うという意識は必ずあります。 けれど、自分をよく観察すると五蘊が集まった物に過ぎない、ということを観音さまは見抜いたということです。 つまり私の中に固定的な実在としての我アートマンは実在ではないとういうことを言わんとするのです。  観音さまの瞑想は深く行きます。 そして二つ目に見抜いたのが、その次の皆空なのです。 タモス、チャ、チャカサカナンダ スダバシューナン つまり五蘊はまだ自性空であるというふうに訳すことができます。 この一言が非常に難しいのです。 自性スダバーバというのは固有の在り方とかです。 生まれつきの性質というふうな意味があります。  素性とか素質、本性という意味があります。 ですから、これは本質的な独自性というふうに訳しているようです。 「しゅうや(sunya)」これを私達は空と訳しているのです。  ただ空と言われてもピンとこないのが最大の問題点です。 般若心経がわからないのは「空」がわからないからだ、といことになります。 「空」というのは本来、空っぽの、とか空虚の、とかという意味があります。 空しいとか、空ろな、とかという意味もあります。 基本的には何かを書いている状態なのです。 「しゅうや」というのは「空」というのはある一定のものから何らかの条件が欠落している状態でこれを空というわけです。 その下にちゅうめいとかいう中性名詞なのでが、ここにゼロという概念が空というものに一番近いのではないかと思います。  例えば、インドの人の発想の仕方があります。 ここに壷があります。 この壷の中に水がいっぱい入っているとします。 そうすると私たちは壷の中に水があるというふうに思います。 この中の水を全部こぼしてしまいました。 そうするとどうなりますか。  水子供養をお願いなさる皆さまや私たち日本人はこれはカラッポだというふうに思います。 ところがインドの人たちはこの中から水を抜き去ってしまうと、この壷の中には水の空があるといいます。 空の状態にある。 水が無いのではなくて、水の空があるということなのです。  この中に最初に1リットルの水が入っていたとすれば、1リットルの水があると考える。 けれど1リットルの水を全部捨ててしまうか飲んでしまうと、そこには水子供養をお願いなさる皆さまや私たちは水は無いというふうにいうけれども、インドの人はつまりゼロリットルの水があると考えるということなのです。 ですから、これが実は空という意味なのです。 空というのは存在が欠落した状態であるということなのです。 だから無いのではないのです。 無ではないのです。  かといって当然無でもないということ、これがつまり空だということです。 ですからシュババシューニャンということになれば自性空と、本質的な独自性というものを欠いている状態があるということになります。 面倒くさい表現ですから分かりづらいです。 つまり、五蘊もまた本質的独自性を断つ、つまり自性空であるということをいいます。 五蘊語の原点は二つに分けてかいてあるのですが、漢文はこれがまとまって五蘊皆空になっているのです。  どうしてこれが一つだとまずいのか、実は水子供養をお願いなさる皆さまや私たちの冥想のレベルが深くなっていく状態をさしているのだそうです。 まずこの段階が分からないと第一の段階、私という存在は仮に集まったものにすぎないのだよということが分からないと五蘊も空だということが分からないのです。 ところで、これを分からないままいきなり言われるから空とはなにかとなってしまって、何が何んだか分からないのです。

一切苦厄

 般若心経は唱えていればありがたいのです。 皆様や私達にとっても、唱えただけ非常にご利益のあるお経です。  けれども内容が分からないのはただ読んでいるという状態になってしまいます。 実は般若心経は冥想のための主導書みたいなものです。 ところが漢文に訳した際にここの第一ステップ、第二ステップという書き方を省略してしまって、すぐに第二ステップを書いているので、混乱してしまい冥想の主導書にはなっていない完全な般若心経なので訳が分からなくなっているのです。  ですから空とはなにですかと言おうとしたのですが、少し分かり易く言ってみます。観音さまがまずこの段階を見抜いて次にこの段階に達せられた訳です。 この段階に達せられるというのはつまりこれを乗り越えて次にこちらに来ているわけなのです。 これの意味しているのは、こちらの自己の存在を道義からなっているというレベルつまり小乗仏教のレベルだということです。 登場人物が3人いることを前述しました。  3人とは、お釈迦さまと観音さまと舎利仏(釈迦の弟子)です。  舎利仏というのは小乗仏教の代表です。 つまりここが分かってる方なのです。 これが分かるから観音さまからこの事を言われて舎利仏は素直になってくるのです。 こう言われても分からないわけです。 その為にはまずこのステップに入らなければいけないのです。  さらにもう一つ段階が在るのです。 ここからもう一つ深まった段階というのがあります。 それが一番最後の部分です。 一番最後の部分と言いますと語弊がありますがこの節の最後の所の一行です。 つまり度一切苦厄と言う事が第3のステップになります。 この一文、原語原点にはありません。 原語の般若心経にはこの度一切苦厄に相当する言葉は出てこないのです。  ではどうしてここにあるのかということが問題なのです。 確かに現在残っているサンスクリット語の原典には、この度一切苦厄に相当する言葉は無いです。 必ずしも最初から一切苦厄は無かったと言い切れない部分もあります。 それは一番古い般若心経の漢訳テキストで鳩摩羅什三蔵法師の般若波羅密大明径にも度一切苦厄という言葉が入っているのです。 もしかすると鳩摩羅什三蔵法師 の訳の際にテキストとして使った原語には一切苦厄に相当する言葉が入っていたのかもしれません。  ところが後で使われてるのには一切苦厄がないのです。 水子供養をお願いなさる皆さまや私たちが今使っている、読んでいる般若心経というのは玄奘三蔵法師が唐の時代に訳したものだと言われてます。 玄奘は、それと同時に漢字に音だけ写しているテキストというのを作っておられます。  これがやはりそちらには載っていないのです。 ということは玄奘三蔵法師が使ったテキストにもやっぱり一切苦厄が入ってないはずなのです。 入ってないにもかかわらず玄奘三蔵法師はどうしてここに度一切苦厄を使われてるのか。 そういう問題が起こるのです。 これには色々な説があります。玄奘三蔵法師が、自分で鳩摩羅什三蔵法師のを模範にしてこの一文が非常にここにあるべきものだということで一切苦厄を加えたのだという説があります。  それから玄奘三蔵の弟子で慈恩大師(じおんだいし)と尊称される「基(き)」と呼ばれている人がいます。 窺基ききと呼ばれているけれど、正式には「基」なのです。 この方は実は坊さんではなくて半僧半谷なのですが大変な方なのです。 この人の師匠が、玄奘三蔵が訳したものに後から自分の鳩摩羅什三蔵法師の訳から引用して一切苦厄を付け加えたという説がありますが実のところ良く分かりません。  ただここにこの度一切苦厄という一つの言葉があるが故に、般若心経の意味が非常に深くなっているということも言えます。 この一文が、観音思想の第3ステップを意味しているとも言えます。

観音経

 観音思想の第3ステップは苦難から仏へステップアップを意味しているということとも言えるのです。 それと同時に般若心経が衆生を救うために説かれているお経という意味合いがこれによって生まれています。 般若心経を水子供養をお願いなさる皆さまや私たちが読むことによって私たちも苦しみから逃れられるというような意味あいが入ってきているのです。 ここで経は御利益のある教典だという信念が出来上っていく訳なのです。  度という言葉にさんずいを付ければ分かると思います。 渡という意味と同じです。 これは救うということ斉度するというふうな言葉があります。 それと同じです。 救いとるという意味があります。 あるいは、逃れ出す、放出する、というふうにとってもよいと思います。  というのは波羅密と同じ意味にとることも出来るのです。 ですからこの度を波羅密と訳すとまた意味が深くなります。 般若波羅密によって一切苦しみから逃れられるというように訳すことも出来ます。 厄と苦厄は苦悩と災厄ということになります。  苦については、四苦八苦は水子供養をお願いなさる方々や皆さま、何回も聞いていると思います。 この後、苦集滅道が出てきますからそこの所でもう一度述べます。  四苦というのは生老病死です。 八苦というのはそれに四つ加わって八苦で、四苦八苦するということです。 厄については災難のことなのですが、これについて般若心経にはそのように説かれていません。  ただ、観音経です。 つまり妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五ですが、これには観音さまがありとあらゆる苦しみや災難から救って下さる、あるいは願いをかなえて下さる、そういう場面が繰り返し繰り返し出てきます。ですから観音経を読んで頂くと、苦厄の厄というのが例えばどんなことがあるのか分かると思うのです。  色々あります嵐にあっても観音経をしきりに唱えると嵐が止むとかです。 例えば火の中に落ちても観音経を唱えると、それが涼しい池になるとかもです。 有り得そうにない事が書かれているのです。  刃がバラバラに砕けてしまうとか、何かで捕まって、役人に捕らえられたりした時にも観音様を唱えると手かせ足かせが自然に外れてしまうとか、そのような事が書いてあります。 災難とか、あるいは苦しみに対しても御利益を観音さまが下さるというふうにあります。  あるいはまた観音経の中には、子供が欲しいと願えば立派な男の子が生まれる。 あるいはやさしく知恵のある女の子を授けてくださると、そのように書かれています。 ですから本当にありとあらゆる願いをかなえて下さるのが観音さまだという事を観音経は説いてる訳でが、どちらかというと般若心経の苦しみを逃れることが出来ると書いてはいても、内容については詳しく書いていないのです。  ですからその辺は水子供養をお願いなさる方々や皆さまの中で観音経に興味のある方は、すこし見て頂くと分かりやすいかと思います。 テキストとしては「ひろさちや(昭和11年7月27日生まれ。宗教家であり、分かりやすい一般向けの解説書を執筆しています)」さんという方が「奇跡の経典」「観音経」という本をラジオ出版から出しています。 ※著作は500点以上あると言われて、主な著作は次の通りです。  •釈迦と十大弟子(法藏館)  •個人主義仏教のすすめ(世界聖典刊行協会)  •死の世界・死後の世界(池田書店)  •お経の世界(中山書房仏書林)  •仏教入門(池田書店)  •はじめての仏教―その成立と発展 (中公文庫)  •「デタラメ思考」で幸せになる! (新書ヴィレッジブックス)  •ブッダは何を教えたのか―人生の智慧、自分らしく生きるヒント  •般若心経入門―生きる智慧を学ぶ (日経ビジネス人文庫)  •すらすら読める 正法眼蔵  •どの宗教が役に立つか (新潮選書)  •「まんだら」のこころ (新潮文庫)   それから最近、中公文庫で「瀬戸内寂聴」さんの「寂聴観音経」という本です。 これがまた出ました。 それも文庫本ですから安いです。 水子の供養をお願いなさる方々や皆様の中で興味の有る方は紐解いて頂くと観音経の大まかな部分というのは分かるかと思います。 ※様々な著作が多くありますが、仏教に関連する項目の著作は次の通りです。  •寂聴あおぞら説法  •釈迦 新潮社  •寂聴仏教塾  •寂聴 般若心経―生きるとは  •寂聴の美しいお経  •愛と救いの観音経  •いま、釈迦のことば  •寂聴巡礼  •寂聴の仏教入門

成仏とは

 皆さまや私達が学習するのは観音経ではなく般若心経です。 これは実は我々の妄想の段階、カンのステップアップ、レベルのステップアップを言っていると述べました。 これは図にすると分かりやすいです。 宮坂先生は四階建てのビルディングだというふうにおっしゃってましたが、私から見るとどうもピラミッドみたいな気がするのです。 第一階層というのは凡夫、つまり水子供養をお願いなさる皆さまや私たち迷いの中に居る人間です。普通の人間のレベルということになります。 これは我執に縛られて真理が見えない状態です。 自分があって、自分が大切であって、自分の思い通りにならないといやだ、しかしそのように思うからこそ思い通りにいかないのです。 そういう心の有り様の段階なのです。ここから瞑想を深めていきます。  次に小乗仏教のレベルに入って行きます。 小乗仏教のレベルに上がって行くためには一つの見方が必要なのですが、これは後述しましょう。 人というのに我は無いと人間に確固とした自分自身の存在は無い、自分にこだわり続けてがんじがらめにしないで、もっとおおらかに生きなさいというと少しニュアンスが違います。 こだわりを離れなさい、執着を離れなさいというレベルが分かってくるのがこの段階なのです。人は無我である。という事が分かります。 ここからさらに上がると菩薩のレベルになります。  これが観音の般若心経でいう五蘊皆空の部分です。 自己の存在はぼんくらなのです。 この部分がここに相当する訳なのです。 人は無我である。 このレベルになると、ほう無我と呼ばれる位に入ります。 つまり一切は空だという、全て空だと。  皆さまや私たちも五蘊から成っています。 ですから、そういった細く分析していった学術的なものにこだわらないで、在るがままに見るレベルになる、ということになります。 これが更に昇華されてくると仏になる。仏というと、仏陀、つまり如来の域に達するのです。涅槃という状態に入るわけです。 仏教ではこの小乗の人無我のことを「おおう」と言います。 人間は空だけれども、それを構成する要素であるところの法、五蘊とかその他もろもろが在るのです。 実在するするのが小乗の考え方です。  それに対して大乗仏教は人も空ならばそれを構成するさまざまな条件も実は空だといいます。 この段階から上の段階に昇るためには自己は五蘊がただ集まっているものに過ぎません。 ということが分かればこの段階に上がることが出来ます。 分かるというのは頭で分かるということではなく納得することです。 見抜くことです。 段階が上がるためには五蘊皆空、五蘊に過ぎないわけです。 しきりに言っています法は法律というふうな意味では無いのです。  これは構成要素、すべての存在を細かく分析していった時に現れてくる一つ一つの小さな要素を法と呼んでいるだけなのです。 これは仏法とかいう時の法でもないのです。 ですから混同すると分からなくなります。 このことについては後述します。 法すべての存在のバックアップしている法というものも実際、本質としては空である、ということになります。 ここから突き詰めてくると涅槃に入ります。 涅槃に入るということは度一切空厄です。 極楽に生まれ変わること、それも成仏だと言えますが、そうではなく苦しみから逃れることなのです。  苦しみや災難から完全に逃れだすことを成仏といいます。 そのように言って良いと思います。 ですから、成仏の状態に入る、これを涅槃、初涅槃と言うのです。 成仏とは必ずしも死ななければいけないことではないのです。 皆さまや私たちが、この肉体を持っていても心が様々なこだわりから完全に解放されて、完全な安楽な状態、すべての苦しみや災難から自由になった状態、そこに入れば仏になった、成仏したのと同じなのです。 この身このままに成仏することを密教では即身成仏というのです。 般若心経はこの即身成仏の一歩手前まで導いてくれるガイドブックだといえるでしょう。 我々の修行次第というところまで導いてくれるのが般若心経なのです。しかし、そのような解釈はなかなかされていないのです。  言わんとしているのが、実はこの一番最初の一節に述べられているといえます。 全部がそうではないのです。 前半分はその法という問題についてです。 法というものは空であるということを言うのが前半分なのです。 後半分はそうでなくて般若波羅蜜ということをすることによって、成仏が成立すると言っています。 般若波羅蜜によって度一切空厄ということ、つまり即身成仏に至ることが出来るのだというのが後半分なのです。 そのために「掲諦掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦 菩提娑婆賀」真言を唱えましょう。 これが実は般若心経なのです。

般若心経 色即是空

色不異空空不異色と色即是空空即是色  原文での「色即是空」以下のところについて触れていきます。 「色即是空」以下の部分は梵語の原文とは少し違い、省略されている部分があります。 これは補充されたフレーズを抜き出して引用したものです。  梵語の原文を翻訳すると以下のとおりです。 「観自在菩薩」の「観」にはシャーリプトラであると述べています。 色とは本質的独立したものであり、それなしに四季はありえないということです。 つまり、すべての形象には本質的独立性が欠落したものであるということなのです。  形象とは別に本質的独立性の欠落があるのではなく、本質的独立性の欠落から離れた形象はあり得ません。 およそすべての形象には本質的独立性が欠落しており、本質的独立性の欠落こそが形象です。 潜在印象、識別もまたこのとおりです。  皆さまには、これだけではよく意味がわからないでしょう。 「色即是空」以下の部分には似ている言葉の繰り返しが3回出てきます。  「形象は本質的独立性が欠落したものであり、本質的独立性の欠落こそが形象に他ならない」という表現があります。 これが「色即是空空即是色」に対応します。 次の「形象とは別に本質的独立性の欠落があるのではなく本質的独立性の欠落から離れた形象はあり得ない」ということが「色不異空空不異色」に該当します。「およそすべての形象には本質的独立性が欠落しており、本質的独立性の欠落こそが形象である」が、「色即是空空即是色」に当たります。  では、皆さまと色即是空を順を追って見ていくことにします。 まずは「舎利子」ですが、これは「シャーリプトラ」という人の名前です。 「ここにおいてシャーリプトラ」の部分で出てきます。 彼は、観音が般若心経を説く際、その教えを聞く人のことです。 また、このフレーズに出てくる「ここ」とは、観自在菩薩の見地のことを言います。  つまり、菩薩のレベルが観自在菩薩の見地で、シャーリプトラはその下の声聞縁覚(しょうもんえんがく)のレベルにいるということです。その一つ下のシャーリプトラに対し、一つ上の観自在菩薩がシャーリプトラに対し呼びかけています。 このシャーリプトラとは、お釈迦さまの弟子です。  沢山の弟子がいますが、その中でも智恵が最も優れているとお釈迦さまからたたえられた人です。 また、この名前は愛称であり、本名ではありません。 本名は「ウパティスタ」であったといわれています。 「シャーリプトラ」とは、「シャーリーの息子」という意味であったとされています。  「シャーリー」とは、彼の母親のことであり、「プトラ」とは、「息子」という意味です。 ですから、ここから「シャーリーの息子」という意味の「シャーリプトラ」というあだ名がついたとされています。 なお、「シャーリー」とは、鳥の名前のことです。 そこから彼の母親の「シャーリー」というあだ名はここからきているという説が有力です。  彼はバラモン階級(カースト制度の下では最上位)の司祭で弁述家の家系の出身です。 そのため、理論的で弁術が達者であった母に「シャーリー」というあだ名がついたとされております。 シャーリプトラ自身も達者であったといわれています。 彼は、インドで有名だった6人の宗教家たちのうちの一人であるサンジェアーヤベラッティプッタの弟子になります。  サンジェアーヤベラッティプッタは、いわゆる懐疑論者でした。 自分の意見をはっきりといわないという傾向がありました。 彼はすべてのものを疑い、すべてのものは実体がないということを主張しようとしました。 色即是空の原点です。 彼の意見はつかみ所がなく、鰻論(まんろん)と言われました。  当時、インドにはマガダ国とコーサラ国の二つの大国がありました。 そのうちのマガダ国の首都ラージャグリハーにいたサンジェにシャーリプトラは付き従っていました。 その町の中でシャーリプトラは一人の気品のある格好をした修行僧を見かけました。 町を出て行くときを見計らい、「あなたはどういった人なのか」と尋ねました。 修行僧は「私はお釈迦さまの弟子である」と答えました。 そして、シャーリプトラはブッダの教えをこいたいと言いました。  彼は、お釈迦さまの最初の5人の弟子であったアッサジ(馬勝…めしょう)でした。 彼は言いました。 「私は出家して間もないので、お釈迦さまの深い教えはいまだに理解できてはいません。しかし、要点については次のとおりです。 すべての存在は縁によって生じています。 そして、如来はその因を説かれ、また、その法は縁によって滅します。これが私の知りうるところの大沙門の説です。」 これを聞いたとき、シャーリプトラはこれが自分の捜し求めていた師匠だと思いました。 そして、深く感激し、お釈迦さまの弟子になろうと決心しました。  そこで、彼は同じくサンジェアーヤベラッティプッタの弟子である目連尊者に会いました。 彼らは二人で「もしどちらかが絶対の真理であるところの教えを見つけたなら、自分だけが学ぶのではなく、お互いそれを教えあい、その教えを説く人のところに行く」という約束を以前交わしたからであり、現に絶対の教えを見つけたからです。  目連尊者は、シャーリプトラに、 「君の顔は晴れ晴れとしている。絶対的な教えを伝えてくれる人を見つけたのではないか」といいました。  シャーリプトラは、 「そのとおりだ。私はすばらしい教えに出会った。これから二人でその方の許へ行こうではないか」 と返し、そして二人でお釈迦さまのところへ行きました。 ここで、二人についていくという形でサンジェの弟子500人がお釈迦さまのところへ行ってしまいました そして、サンジェは怒りのあまり血を吐いてなくなってしまいました。

釈迦の慈悲

 二人とも優れた人物であったため、お釈迦さまのところへ行ってから、めきめき頭角を現すようになります。 特にシャーリプトラは、お釈迦さまの教えを受けてからわずか14日で悟りを開いたといわれております。 お釈迦さまの弟子の中でも一番であるとたたえられました。 それゆえ釈迦が体調不良で説法が出来ないときはそれに変わって説法を説くこともありました。 また、ジャイナ教というのがインドにあります。  そのジャイナ経典にはお釈迦さまと並んでブッダと書かれています。 そのため、ブッダの後継者とも目されていました。 しかし、お釈迦さまが涅槃に入られる前に亡くなってしまいました。 お釈迦さまより年齢は上であったという説もあります。  目連尊者は、神通力が優れていたとされております。 シャーリプトラと並び、お釈迦さまの二大弟子とされておりました。 しかし、シャーリプトラの死よりも前に、仏教をねたむやからに殴り殺されてしまいました。 シャーリプトラが弁術で以て教えを説いたのに対し、目連尊者は行動力に優れていたため、外道に対して説法するという直接的方法をとりました。  そのため、ほかの教団の人達からねたまれており、何度も命を狙われ、ついには無残な形で殺されますが、類まれなる神通力でお釈迦さまのところにたどり着き、「私がこうなったのは私の至らなさの結果ですが、これによって自分の悪業というものを見ました。これより静かに涅槃に入ります」とおっしゃったとも言われています。  この二人が亡くなったことにより、お釈迦さまは非常に嘆き悲しんだといわれています。 なお、この二人の死によって、マハーカッサバやアーナンダがお釈迦さまの跡を継ぐことになりました。  悟ることについて感情がない存在(空)になると誤解する人もいますが、すべての欲を捨て去るとか、一切のものにこだわらないなどと言いますが、それはすべての感情を否定していることではなく、悲しいときは、やはり悲しいと感じ、その中で人をいかに導いていくかということを考えるのが仏教のあり方であるといえます。 お釈迦さまは慈悲というものを第一に考えていたということがこのエピソードから明らかでしょう。  以上は舎利子の伝記のようなものですが、水子供養をお願いなさる方々や私達が学んでいる般若心経の内容に入っていきます。 舎利子は小乗仏教の代表者で、それに対し、観自在菩薩は大乗仏教の代表者であるといえます。 この二人がお釈迦さまの瞑想の境地に感応して問答することが水子供養をお願いなさる皆さまや私達が学ぶ般若心経の構成であります。 しかし、この大乗仏教、小乗仏教のそれぞれの代表者である両者の関係が問題になってきます。  小乗仏教の代表者を選んだことについて、優れた大乗仏教の代表が劣った小乗仏教の代表に対して教えを説くことで、劣った小乗仏教の教えから優れた大乗仏教の教えにシフトさせるためであったとする解説もあります。 しかし、これだけでは不十分といえます。なぜなら、大乗仏教の教えは小乗仏教の教えの把握なしには理解できないため、小乗仏教の代表者の存在が不可欠だからです。舎利子は小乗の教えを極めているため、彼なら観音さまの教えを説いても理解してもらえるだろうという考えの下に説かれています。  彼であれば、小乗仏教の「観」のレベルに達しているといえます。 そもそも、「我」というものは水子供養をお願いなさる皆さまや私達の住むこの世になく、自己の総体とは、無我であるという悟りに到達して初めて更なる大乗菩薩のレベルに到達する必要条件が得られます。 舎利子はそのレベルに達しています。 なにより仏陀のレベルにすら達しています。 これほどのレベルに達していないと、お釈迦さまの瞑想の力に感応して観音さまの説法を受けることが出来ません。 だからこそ舎利子は選ばれたといえるでしょう。  次に、「五蘊(ごうん)」という言葉が問題になります。 これは、「5つの集まり」と訳される「スカンダ」という言葉から来ております。 「蘊」とは、それによって全体を構成する機関的部門と言う意味です。 「五蘊」とは自分自身の経験の総体を構成する5種の諸要素という意味です。 水子の供養をお願いなさる方々やこれを読んでいる皆さんを含め、人は生まれてからしてきた多数の経験をもとに様々なものの考え方が起こってきますが、それは実体があるものではなく、経験が蓄えられているに過ぎません。その経験を構成する五つの部門とは色、受、想、行、識ですが、これらをまとめたものが五蘊です。

煩悩と悟り

 なぜここに「五蘊(ごうん)」が出てくるかですが、「五蘊皆空」とは、五蘊はすべて空であるという意味です。 それを詳しく説明しているのがこの「舎利子色不〜」以下の段です。 この段を正しく理解するためには五蘊について理解しておかなければなりません。 それを理解することで自己の存在は五蘊の集合体に過ぎないということを理解できなければなりません。 これが舎利仏の悟りであります。  小乗仏教の伝統的な考えでは一切法の内容を11の内容に分類します。 五根、五境、受蘊からなります。 五根(五官))とはわたしたちの5種類の器官のことを言います。 それは、眼と耳と鼻と舌と身(体のこと)を意味します。  五境とは水子供養をお願いなさる方々や私達の感覚によって受け止められる外界の対象物です。 これが、色、声、香、味、触です。 無表色(むひょうじき)とは、外界に表現されない行為とされていますが、これはたとえば形として現れない無のようなものです。五境は後に「六識」として感受作用として現れてきます。ちなみに、ここでの「識」と、五蘊の「識」とでは意味が違います。ここでは目に見える現象を指す点で後者の識とは異なっています。  六境のうち、 「声」とは、耳に聞こえる音のことです。 「香」とは、鼻ににおいとして感覚される香りのことです。 「味」とは、下の上に乗せることで感じる味わいのことです。 「触」とは、身に触れて感じることが出来るさまざまな物のことです (「色」については後述します) それでは、それぞれの部門別に解説していきます。  まず、「色」についてです。 これは、水子供養をお願いなさる皆さまや私達の認識の対象となるすべての形ある物質的なものの総称です。 一定の空間を占め、他の存在と相容れず、絶えず変化してやがて消滅するものを意味します。 これについての解釈ですが、二つの説があります。 一つは、私自身の肉体を指すという説で、もう一つはそれだけでなく周りにあるもの全部を指すという説です。 ただ、周りにあるものでもすべてが認識の対象になるものばかりではありません。 そのため、認識の対象になるもののみに限定されるというのが中心的考え方です。  その認識した外界の現象を意識の内側に印象として取り込むことを指して、「受蘊」といいます。 そのとき外界と私達の感覚器官が触れ合い、たとえば「苦」とか、「楽」などのこの世の印象について感じることができます。  よく、五根や五境が受蘊だと思ってしまう人がいます。 これらは「色」で、これは色蘊に分類されます。 「受」とは、色蘊にあたる外界の目に見えるものが私達の目に映るなどし他結果、私たちが感じる感覚(感受作用)の総称であり、それらをひっくるめて「受蘊」と呼びます。また、「快」や「不快」などの思いや、「苦」や「楽」などの感覚が心に接触するとさらに別の感覚(法。五根では意)を感じることになり、この感覚を含むと五境に対し六境になります。  次は「想」についてです。 たとえば暑いとか寒いとか、痛いという感覚を感じることができない人がいて、彼らはそう言った感覚を心の中に取り込むことが出来ません。しかし、実際は多くの人は感覚を取り込むことが可能であり、それらを総称して「想」といいます。 まとめると、外界のさまざまなものが水子供養をお願いなさる皆さまや私達の感覚器官に接触することによって「受」が生じ、それを心の中に取り込む働きが「想(サンジュニアー)」であるといえます。  サンジュニアーというのは「サン」ということばに「ジュニアー」がついた言葉です。 この「サン」には、「まとめる」という意味であり、「ジュニアー」は「知る」という意味です。 この言葉の意味からも、外で得たものを取捨選択することなくすべて受け入れてしまう働きが導けます。 同じような物に、「プラ」に「ジュニアー」がつくと「般若」という意味になるものがあります。  このように心の中に取り込み、心に思い浮かべたものについて、どうするか考えることや、記憶した事柄を許に行動をおこす、あるいはおこさないといったいわゆる意志的な部分を「行(サンスカーラ)」とよびます。 象は、心の中に蓄える働きという点から、「想」の要素もありますが、潜在印象により実際に行動をおこすとか起こさないという意志に結びつくため、正確には「行」に区分されます。  もともと、「サンスカーラ」とは、「これによって作られる」という意味があります。 これには「作り上げる力」と、「作り上げられたもの」の二つの意味があります。 これはそれぞれ意志による形成力と、潜在的形成力に対応します。 また、小乗仏教では「受」、「想」以外の心の作用すべてを「行」と呼びます。  いったん心の中に受け入れ、行動しようと思ったことについてどう行動するべきかについては自分で判断することが出来ます。 その判断の根底となるものは、認識の機能(六根)であり、それを司るのは最後の「識蘊」になります。 その認識の機能である六根が外界のもの(六境)を受け入れます。 受け入れるのは「受」です。 しかし、それを最終的になんであるか過去の経験に照らし認識するのが「識蘊」になります。 これで、五蘊についての解説は終了となります。  水子供養をお願いなさる方々やこれを読んでいる皆さま、最後に、悟りについて若干補足します。 そもそも、仏とは人が悟ってなるものであります。 つまり、迷っている人がいなければ仏になる必要はなくなります。  密教では「煩悩こそが悟り」という言い方をします。 これは、悟りを迷いと考えるべきか、という疑問がここで生じます。 これについては、人は苦悩があればそこから離れて安楽へと向かおうとするため、煩悩があればこそ悟りが開かれるといえますし、それが大きいほど大きな悟りにいたることが出来ます。 小乗と大乗の関係を見ていくときは、その点を踏まえていくとよいでしょう。

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